引き続き筥崎宮を散策します。社領が広いので、全部観て回ると結構時間がかかります。

こちらは何の建物でしょうか?歴代の奉納額や板絵などがびっしりと飾られています。

遠目に見たときは土俵でもあるのかな?と思ってしまいました。

亀山上皇は鎌倉時代におきた、蒙古襲来時の治天の君です。「我が身を以て国難にかわらん」と敵国降伏の祈願をして国難にあたりました。

福岡県出身の彫刻家・山崎朝雲の木彫像。このスケールは圧巻です。

筆塚がありました。人形師さんや画家の方々が収めに来るようです。

九州でもトップクラスの参拝者を誇る神社なだけあって、社務所も大変立派です。

勝負事の神様として有名なので、地元チームのソフトバンクホークスとアビスパ福岡が必ず戦勝祈願に訪れ、そして巨大絵馬に選手のサインを書いて奉納します。

御神木 筥松

応神天皇がお生まれになった際に、胎盤とへその緒を筥に納めて白砂青松の清浄なる岬に埋め奉り、そしてその標に植えられた松です。

実は筥崎という名前はこの筥松が由来になっているそうです。

敵国降伏を掲げる楼門

前領主小早川隆景が建立した、三間一戸入母屋造、檜皮葺、雄大な屋根を有した豪壮な建物です。また、醍醐天皇の御宸筆「敵国降伏」の扁額を掲げていることから伏敵門とも呼ばれます。国指定重要文化財です。

応神天皇・神功皇后・玉依姫命を祭神としています。大規模なお祭りが目白押しですね。

奥に見えている朱色の建物が本殿・拝殿です。天文15年(1546)大宰大弐大内義隆が建立したもので九間社流造、漆塗、屋根は檜皮葺です。こちらも国指定重要文化財です。

本殿は高い塀に囲まれています。さらに中には千利休より奉納された石灯籠なども残っています。

古代文字で読めません、何が書いてあるんだろう?千年位経っているかもしれませんね。

紫陽花園の入口です、残念ながらこの日は締まっていました。

大きな神社あるあるですが、色々な所にそれぞれ違ったデザインの案内板がありますね。

筥崎宮には西末社と東末社が、計10社あります。

 
にほんブログ村 写真ブログ 地域の歴史文化写真へ にほんブログ村 歴史ブログ 地方・郷土史へ にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
記事が参考になりましたら、こちらのボタンをクリックお願いします。