文教の町に眠る史跡・元寇防塁
元寇防塁 へいってみます。昭和通りから修猷館高校の横を北に進むと西南学院大学入口、そして元寇防塁の看板が現れます。
元寇防塁とは蒙古の襲来を受けた鎌倉幕府が、二度目の襲来に備えて築いた石築地です。その為、博多湾沿いの海岸線には20kmに渡り史跡が点在しています。
そして、こちらの元寇防塁には小さな神社が併設されています。
おそらく戦死者の慰霊の為に勧請された神社だと思います。しかし御祭神などは由緒がないので不明です。
史蹟元寇防塁
こちらの石碑には昭和六年十月建設と記されています。国の史跡に指定された記念碑ですね。
元寇防塁の説明書きです。蒙古は再び日本に攻めてきました(弘安の役)。しかし元寇防塁に阻まれ、博多湾に停留中に台風が到来、軍船の多くが沈没や損壊するなど大損害を被り、退散しました。
こちらがその元寇防塁です。戦後は一時埋められていましたが、ライオンズクラブの有志によって史跡として保管されました。
石碑がありました、はっきり読めませんが皇室の方が植樹した記念碑のようですね。
こちらは久邇宮殿下とはっきり読み取れます。後ろの松の木を植樹したようです。
いつ植樹されたものか分かりませんが、かなりの巨木になっているので相当昔でしょう。
後ろに見えている建物は西南学院大学の体育館です。実は大学のキャンパス内にもこちらの防塁の続きが公開されています。
鎌倉時代の遺構を直接観ることができるのは貴重ですね。これら元寇防塁の石は福岡城築城の際に再利用された為、お城から離れた地区にしか残っていません。