稲葉家5万石の居城
天気が良かったので、ちょっと臼杵城に行ってきました。
1562年に大友宗麟が臼杵城の前身となる丹生島城を築きました。これより5年ほどまでに大友氏は拠点を大分府内から臼杵に移したと考えられています。
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街の大通りに面した古橋口から入城しようとしましたが、柵で通行止めになっていました。現在、工事中のため今橋口に迂回するよう説明する看板がありました。古橋は大友時代から登城路として使われていた、いわばお城の正面玄関です。
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この今橋口がなかなか見つけられなくて大変でした、、、悪戦苦闘したのは、わたしだけなんでしょうけども、地図が読めなくなる時あります、、、
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臼杵城は宗麟の息子・義統が朝鮮出兵で敵前逃亡を咎められて改易になると、福原氏、太田氏と主を代えましたが、関ヶ原の戦いの後、1600年に稲葉貞通が5万石で臼杵に入封。息子・典通の時代まで城の修築が行われ、現在の臼杵城の姿が完成しました。以後、稲葉氏15代の居城となり明治維新を迎えます。
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今橋口から5分ほど歩くと、本丸跡・二の丸跡に到着しました。現在は臼杵公園として整備されており、市民の憩いの場となっています。二の丸跡から見てまわることにしました。ここには臼杵護国神社が鎮座しています。
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この臼杵護国神の境内には1675年に藩主の居館が移されました。現在、それを伝える遺構はなく、わずかに庭園の一部が残されているのみです。
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