大村藩士が起こした泥酔事件
天気が良かったので、ちょっと大村宿跡に行ってきました。
長崎街道の宿場町として栄えた大村宿は、大村城下の商家が軒を連ねた本町にありました。現在の中央商店街のアーケードの通りが長崎街道で、ここに本陣がありました。
正直、シャッター街といった感がありますが、かつての本町は名代の店が並び、大変栄えていました。捕鯨業で財を成した深沢儀太夫家が、本陣を造っており、幕末の記録では屋敷の総面積は約1600坪、書院、座敷、湯殿など12棟の建物があったそうです。
1835年5月1日、この本陣辺りで刃傷沙汰が起こります。福岡藩主・黒田長溥が長崎に向かうため本陣に投宿していたのですが、その家来の奉公人・千七を大村藩士・辻助五郎が酔っ払って斬りかかり、負傷させてしまいます。
大藩・黒田家の随行者だったため、大村藩は直ちに町奉行の品川一郎兵衛を本陣に遣わして謝罪。その時の本陣の様子は、事件発生により実に物々しい警備だったそうです。一気の宿場中が緊張につつまれていたのでしょうね。長溥は長崎での役目を終え、その4日後に再び大村宿の本陣に泊まります。その際に品川は福岡藩側から呼び出され、加害者の辻の処遇について詰問されます。
実は辻が何の責も受けていないことが、道々のうわさで黒田藩側に伝わっていたそうです。当時の街道では人々の噂も瞬く間に広がっていたことがうかがえます。2カ月後に辻は外海の松島に流罪となりました。