街道以外の路がない宿場
天気が良かったので、ちょっと木屋瀬宿跡に行ってきました。
木屋瀬は筑前六宿とよばれた宿場町のひとつで、唐津街道の赤間路と長崎街道の飯塚路へ向かう追分の宿として栄えました。宿の出入り口である西構口の追分の道票には「従是右赤間道、左飯塚道、元文三年」と刻まれています。
木屋瀬宿は、ほかの筑前六宿と同様に人馬継所、お茶屋(本陣)、町茶屋(脇本陣)、代官所、郡屋、制札所と、宿宿としての全ての機能を備えていました。街道は約1100mほどで、1本道が本陣前で「く」の字に間借り、家並みはのこぎり歯城に建てられていました。いわゆる「矢止め」と呼ばれ、戦の時に守りやすくするための工夫ですね。外敵を意識してまちなみが形成されたためか、本街道以外の路はなく、東西構口からのみ出入りが可能です。
お茶屋(本陣)は現在の木屋瀬宿記念の場所にありました。備後以西では領主の別邸を他藩大名の宿にも当てていましたが、通常はお茶屋と呼ばれていました。ただし、他藩の大名が使用する時にはご本陣と呼ぶように触れ込まれていました。
木屋瀬には村庄屋、宿庄屋、船庄屋の三庄屋が置かれました。このうち船庄屋は年貢米を輸送する川船を管理する責任者です。村庄屋は村全体を統括するのが役目で大庄屋の推薦で郡奉行から任命されました。