筑前六宿で最も変貌した宿
天気が良かったので、ちょっと飯塚宿跡に行ってきました。
貝原益軒の筑前國続風土記では「上方より西南諸州往来の宿駅なり。国中の郷里にて民家多き事、姪濵甘木につげり」「川船多く、運漕の便よくして」などと記録されており、その繁栄ぶりがうかがえます。
しかし、1710年と1795年に大火事が発生し、また現在は商店街となっているため、往時の面影はありません。ただし、どこか残り香がないものかと散策してみました。
東構口跡です。この奥の道を進むと納租八幡宮があります
納租八幡宮には寛永年間(1624年~1644年)に飯塚宿の庄屋・古川孫左衛門らにより建立された隋神門があります。
どの宿場町も大体そうですが、商店街の通りが、かつての街道ですね。この飯塚宿も例にもれず、そうでした。
石碑が多く、当時を伝えるものは、ほとんど残っていませんでした。しかし、明治以降は炭鉱の町として栄えた飯塚なので、ある意味仕方がないのかもしれませんね。