五街道の起点

天気が良かったので、ちょっと小倉宿跡に行ってきました。
江戸時代の小倉は九州の咽喉と呼ばれたほど交通の要所でした。ここから長崎街道をはじめ、博多、唐津へと向かう唐津街道、香春や秋月へと続く秋月街道、中津や宇佐に行く中津街道、大里や門司へ向かう門司往還と五街道が放射線状に出ていました。

交通の要所だけに通行に関しては比較的寛容であったそうで、門の通行は門司往還方面、長崎街道方面は24時間、中津街道、秋月街道方面は午前4時から深夜12時まで可能でした。また、時間外でも切手持参者は通行を許可されていました。

この5街道の起点は紫川に架かる常盤橋でした。橋の東側は秋月街道、中津街道、門司往還、西側は長崎街道と唐津街道の起点でした。橋は洪水のたびに流され、何度も架け替えられました。橋脚は木製でしたが後に石で造られており、花崗岩の当時の橋脚が川底から掘り出されています。

復元された常盤橋。東側から
花崗岩の橋脚

常盤橋の周辺は旅籠が密集し他藩の藩主が休憩や宿泊をする本陣が何軒もあったそうです。

写真右側の赤丸が常盤橋の西側。赤の点線が長崎街道
投稿者

arahira

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