凝灰岩を切り開いて通した「切り通し」
稲葉家下屋敷を後にして、南に歩を進め二王座歴史の道を散策しました。
二王座は阿蘇山の火山灰が固まってできた丘を、岩を切り取って道を通しました。いわゆる「切り通し」と呼ばれる道で、ここに寺社や武家屋敷が密集していました。
1716年に開基された旧真光寺の周辺は、臼杵を紹介する上でよく撮影されるほど、特に城下町の名残を強く残しています。旧真光寺は現在では、お休み処として開放されています。
甚吉坂と呼ばれる坂があります。かつて大友宗麟の家臣で槍の名人だった吉岡甚吉が島津氏との戦いで、この坂に立ちはだかり二王座を守る見事な働きをしたことに由来すると言われています。
直良信夫博士の顕彰記念館があります。直良博士は臼杵市出身の考古学者で、明石原人の発見などで知られています。
二王座歴史の道には稲葉家分家の長屋門があります。長屋門は家臣などの部屋がある門のことで、臼杵藩では家老など重職に就く者にしか建てること許されませんでした。
二王座歴史の道の沿い以外にも、臼杵には武家屋敷や貴重な寺院が残っています。龍原寺の三重塔もそのひとつです。太子塔ともよばれ聖徳太子を祀る塔で、江戸時代の木造三重塔です。お寺は西南戦争の際に焼失しましたが、塔は戦火を逃れました。