日本初の公式ヨーロッパ訪問団
天気が良かったので、ちょっと天正遣欧少年使節顕彰之像に行ってきました。天正遣欧少年使節の記念碑は県内でも雲仙市、西海市、島原市のほか、大分県や宮崎県にもありますが、4人全員の像があるのは大村市だけです。1982年に出発400年を記念して建てられました。
目的はローマ教皇、スペイン国王、ポルトガル国王に経済的、精神的な援助を要請することと、帰国後にヨーロッパの体験を語らせ、日本でのキリスト教の布教を推進させるためでした。
使節はキリシタン大名の大友宗麟、大村純忠、有馬晴信の名代として派遣されました。主席正使は伊東マンショ、正使が千々石ミゲル、副使が中浦ジュリアンと原マルチノ。いずれも大名の親戚筋ら身分の高い人たちでした。このほかにも西欧の技術習得要因や使節の教育係として数名の日本人の少年なども同行しました。
1582年2月に長崎港を出港し、マラッカ、ゴア、コーチンなどを経てポルトガルのリスボンに到着したのは1584年8月ですから、大変な道のりですね。訪問した先々で熱烈な歓迎を受けました。
彼らが1586年4月にリスボンを出発し帰路に着きます。1590年7月に長崎港に帰港。8年あまりに及ぶ旅路でしたが、ヨーロッパ滞在は2年弱でした。
その後、秀吉に招かれ聚楽第で西洋音楽を演奏。秀吉は大変気に入り、3度もアンコールしたそうです。その後、日本ではキリスト教の弾圧が厳しくなり、伊東マンショら4人は苦難の道を歩むことになりますが、それはまたの機会にご紹介したいと思います。