今も昔も人気の武雄温泉

天気が良かったので、ちょっと塚崎宿跡に行ってきました。
塚原宿は宿場町として成立する以前より、温泉場として開かれており、730年に編まれたとされる肥前国風土記にも紹介されています。いまの武雄温泉です。

武雄という地名は存在しましたが、その区域は狭く、この地方一帯を示す名前として塚崎が用いられていました。武雄の名前が一般的になるのは明治28年に九州鉄道が開通したときに、駅名を武雄駅としてからです。やはり駅名が及ぼす影響は大きいですね。2022年9月23日に西九州新幹線が開通しましたが、武雄の駅は「武雄温泉駅」。温泉を加えたことによる効果もこれから出てくるかもしれませんね。

まずは武雄温泉のシンボルとも云うべき蓬莱門に向かいます。この門をくぐると公衆浴場「武雄温泉」があり、かつてこの場所に本陣が置かれました。よく竜宮城を思わせる、この朱塗りの桜門は1915年に完成しました。

蓬莱門。設計は東京駅の設計も手がけた辰野金吾博士

この温泉は佐賀藩・武雄領主の鍋島家の所有物でした。武雄鍋島家は、本藩の家老を務め、領内では大幅な自治が認められていました。このため入浴料は大きな収入源だったそうです。

蓬莱門近くにある廣福寺

蓬莱門から向かって右側に東洋館がありますが、ここが脇本陣でした。そして脇本陣から通りを挟んだ向かいに代官所がありました。そしてこの東洋館内には宮本武蔵が使用したとされる井戸が残っています。

画面右側が東洋館
宮本武蔵の井戸。案内板より
代官所跡

この本陣跡や脇本陣跡が塚崎宿の中心部ですが、ここから300mほど歩くと、幕末の蘭学医である中村涼庵の旧宅があります。本最初の牛痘法による種痘の接種を行い成功させたことは広く知られていますね。武雄領主・鍋島茂義の子茂昌に牛痘を接種したことは有名です。

中村涼庵の旧宅

この旧宅一帯は牛の鼻町と呼ばれていました。屈曲させるカギ型の道路があり、敵の侵入に備えました。

カギ型の道路。クランク状になっているのが分かりますか?

今でも武雄温泉は人気ですが、当時も遠近から湯治に訪れる人が多かったそうです。宿場に温泉があればテンションも上がるでしょうね。周辺の宿場に泊まるよりも、頑張って歩を進めて温泉宿で休みたいですよね。