肥後の豪潮が建てた供養塔
天気が良かったので、ちょっと本河内宝篋印塔に行ってきました。
![](https://sawarafudoki.com/wp-content/uploads/2023/01/P1160888-1024x769.jpg)
本河内宝篋印塔は、1811年、本篭町(現在の長崎市籠町)の薬種商・中村盛右衛門仲凞・嘉右衛門茂済父子が施主となり、肥後の僧侶・豪潮が建てた供養塔です。
![](https://sawarafudoki.com/wp-content/uploads/2023/01/P1160890-1024x769.jpg)
豪潮は全国に2000基の塔を建てたとされ、豪潮塔ともいわれています。市内には清水寺、禅林寺、春徳寺に現存するが、この塔はその中で最大のものだそうです。
![](https://sawarafudoki.com/wp-content/uploads/2023/01/P1160893-769x1024.jpg)
天気が良かったので、ちょっと本河内宝篋印塔に行ってきました。
本河内宝篋印塔は、1811年、本篭町(現在の長崎市籠町)の薬種商・中村盛右衛門仲凞・嘉右衛門茂済父子が施主となり、肥後の僧侶・豪潮が建てた供養塔です。
豪潮は全国に2000基の塔を建てたとされ、豪潮塔ともいわれています。市内には清水寺、禅林寺、春徳寺に現存するが、この塔はその中で最大のものだそうです。