長崎街道最後の宿場
天気が良かったので、ちょっと 日見宿 跡に行ってきました。ここまで来たら長崎は目と鼻の先。長崎に向かう旅人は 日見宿 でひと息ついて、日見峠を越えて長崎入りしたそうです。
日見宿 は腹切坂から日見峠までの中央にありました。腹切坂は、山腹を切り開いて道をつくったことに由来します。また、肥後の武士が町人に試合を申し込み敗れたため、面目を保つためこの場所で腹を切ったことから、そう俗称されるようになったとも。
この腹切坂から少し歩くと 日見宿 跡があります。
当時のままと思われる、細い道を進むと三国屋橋があります。
かつて三国屋という酒屋があり、飛脚も勤めていました。ある時、川が氾濫していたにもかかわらず、江戸からの書状を命がけで長崎代官所に届けました。
これに代官が感銘を受けて、石橋を架け三国屋橋と命名したそうです。
日見宿 は長崎まで8㎞しか離れておらず、ここで宿泊する人はまれだったそうです。継ぎ場と呼ばれる中継所で休息をとったとか。
西の箱根と呼ばれる難所「日見峠」
長崎までの距離はわずかですが、長崎入りするには、西の箱根とも呼ばれる日見峠を越える必要がありました。
勝海舟もここを通ったようで、日記に「日見峠甚だ難所」と書いています。
実際に通ってみましたが、傾斜が急すぎました。運動不足もありますが、少し歩いただけで肩で息をしていました。。。
明治になると新道の建設が行われました。当時のお金で約4万7000円という莫大な工費と1年4カ月の時間をかけて、人力車や馬車が通行できるようになりました。
峠を越えたら長崎はもうすぐです。
このまま歩いて長崎に向かいます!