小田部鎮元の出陣

11日辰の刻(午前7時頃)に小田部軍は安楽平城から2㎞先にある池田城を、援軍の立花軍は布陣した老松神社から500~600m先にある龍造寺軍の大将・執行越前守種兼の本陣へ攻め込むことになります。

池田城

池田大教坊との因縁

この池田勢は安楽平城の水の手を断った憎い相手ですが、池田方からしても小田部は、憎いあんちくしょーでした。元々、両家は仲が良く毎年、田植えの時期になると酒盛りをしていたのですが、ある年に両家の家来同士が喧嘩になってしまい、結果、小田部家の家来が池田を斬り殺してしまいます。それ以来、両家には深い因縁が生まれました。

また、池田家が原田家から拝領した土地を次々に取り上げられました。いつ誰に宛てたのかは不明ですが、池田大教坊が小田部家などを恨みに思っていることをうかがえる手紙がいくつも残っています。

とにかく筑前の国衆はいざこざが絶えません。この状況から、安楽平城の攻防戦は大友氏と龍造寺氏といった大勢力の争いではなく、地元の国衆らの対立や紛争が発端となって、大名を引き込んで誘発したと見ることができるかもしれません。

池田城への攻撃

小田部軍は予定どおり池田城に押し寄せます。不意をつかれた池田大教坊は、自らも奮戦しますが、多勢に無勢であり、段々敗色濃厚となります。

小田部鎮元は、ここで「今こそ追い打ちすべし」と下知し、一気に攻め挙げ、大教坊ら敵首85級を討ち取ります。小田部軍は勝ちどきを上げるとともに、城に火を放つと黒煙が敵も味方も分からぬ程に辺りを包み込んだそうです。

池田大教坊の墓

池田の城から火が上がるのをみた龍造寺軍の大将・越前執行守種兼は、小田部鎮元が自ら出陣したことを知り、曲渕氏、原田氏らを引き連れて、一気に小田部軍に襲いかかります。

池田大教坊を討ち取って勢いに乗っていた小田部軍ですが、その多くは老武者で士気は段々と落ちていき、一人また一人と討ち取られていきます。援軍の大津留軍を率いていた大津留宗逸も討ち死にし、ついに鎮元・嫡男九郎も討ち取られてしまいます。

うーん、このまま勢いに乗って勝てそうなムードだったんですが、、、一説では鎮元は、安楽平城に戻り体力の回復を行おうとしたものの、功を焦った大津留宗逸と嫡男九郎が敵本陣への攻撃を強く主張したとあります。

その頃、立花軍は越前執行守種兼の本陣・内野城を攻めていますが、小田部親子戦死の報を聞き「これ以上の戦は無益」と、撤兵を開始します。安楽平城は鎮元の二男・統房が引き続き立て籠もりますが、翌年には城を放棄して、立花山城に退去します。ここに小田部家による早良郡支配は20数年で終焉しました。

今回は最後に「小田部紹叱家中諸士姓名録」の資料から小田部の騎馬侍164人を打ち出します。以下のとおりです。
▽家老・亀井外記▽渡辺主計▽亀井豊前守▽大原日向守▽牛尾左近将監▽大津留次部入道▽中牟田紀伊守▽内野長門守▽内野兵庫守▽鍋山右京佐▽性生隼人守▽中牟田三河守▽狩野弥七郎▽板倉織部丞▽庄野亦次郎▽鍋山主水助▽渡辺新七郎▽清藤佐市▽同 女助▽加藤新兵衛▽小林外記▽同 治郎▽木立右京進▽須崎新九郎▽大穂左京進▽小立新七郎▽小田三郎兵衛▽鳥渡玄藩充▽倉光与右衛門▽三角雅楽守▽同 源兵衛▽安河内伊兵衛▽牧園源兵衛▽鉾侘曲玄▽榊新七郎▽桑野弥九郎▽能見兵部▽中村三郎兵衛▽岩吉大炊之助▽小林兵助▽林三助▽滝川伝助▽石津佐助▽中村治部少輔▽宇美彦四郎▽藤清兵衛▽小林甚三郎▽飯田源七▽金子左馬助▽小田蔵之助▽梅崎万兵衛▽清水内蔵助▽青柳加賀守▽青柳新次郎▽青柳道軒▽鬼倉対馬守▽小田部源次郎▽亀井加賀入道▽大原雅楽守▽牛尾甚助▽牛尾左馬助▽中牟田内膳正▽内野内膳正▽鍋山大隅守▽鍋山甚助▽庄野丹後守▽狩野備後守▽同 与市▽同 与三郎▽中牟田下野助▽中牟田弥助▽宇勤蔵之助▽性生兵庫守▽小林右京進▽加藤弥十郎▽小林大炊助▽鳥木圭馬▽高田左近▽伊佐新助▽木立三郎兵衛▽大穂主計▽坂口女丞▽飯永土佐守▽鳥渡内蔵助▽熊谷治郎▽三角源助▽森市助▽柳五郎兵衛▽榎木三右衛門▽榊源太郎▽榊与七郎▽石済孫太郎▽飯永伊兵衛▽黒木刑部▽岩吉弥七郎▽桑野弥十郎▽笠佐馬助▽加藤弥三郎▽性生之助▽八尋兵部▽長沼源太郎▽中村監林▽倉成左馬助▽喜多崎新太郎▽箱田讃岐▽倉光藤兵衛▽寺岡市助▽渡惣内▽緒方太郎兵衛▽坂口新三郎▽庄崎但馬守▽庄崎河内入道▽庄崎式部▽庄崎若狭助▽大津留左馬助▽土生大心入道▽土生甚助▽土生豊前守▽土生加賀入道▽鬼倉主計▽三瀬萬蔵▽鬼倉伝助▽三苫甚四郎▽石津兵部小輔▽鍋山膳助▽中牟田佐渡守▽中牟田与三太郎▽鬼倉与左エ門▽木立右衛門▽平川左馬之助▽神崎新四郎▽大原四郎兵衛▽亀井主計▽三苫六郎▽中牟田雅楽守▽大原与三郎▽三苫加賀守▽庄林新左エ門▽平川図書▽前川筑後入道▽飯田七郎兵衛▽石津掃部▽石津隼人▽庄崎新兵衛▽前川中務助▽木立右エ門▽大原掃部▽庄野越後入道▽小原掃部▽柴田与右エ門▽中牟田与三右エ門▽重松伊次郎▽中牟田市之丞▽加藤外記▽木立市之丞▽鍋山隼人▽桑野次郎兵衛▽平方源兵エ▽岩吉吉治郎▽岩吉権之丞▽飯田市助▽板倉助兵衛▽大原与助▽桑田善右エ門

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