薩摩藩内に点在したかくれ念仏洞

天気が良かったので、ちょっと立山念仏洞に行ってきました。
かくれ念仏と言われも何の事かピンとこなかったのですが、なんと薩摩藩では浄土真宗の信仰が禁じられていたそうです。

禁教と言えばキリスト教徒への取締りとばっかり思ってたので、びっくりです。もちろん薩摩藩内でもキリスト教徒は厳しく取り締まられていました。薩摩藩、厳し過ぎです。。。

島津氏の家紋「丸に十字」。キリスト教とは関係ありません

浄土真宗が禁制となったのは1597年に島津義弘が二十か条の置文を出したことによります。薩摩地方に浄土真宗が伝播したのは室町時代中期だったそうですが、流布すると一向一揆を畏怖して排斥の気運が高まったとか。「阿弥陀如来の前には、全ての生きとし生けるいのちは等しく尊い」といった教えが為政者にとっては危険なものに映ったのかもしれません。

鹿児島県・宮崎県に点在するかくれ念仏

浄土真宗の信者は潜伏し、洞穴を掘って本尊を置き、隠れて信仰を続ける者もいました。わたしが訪れたのは南九州市知覧町のかくれ念仏洞です。

南九州市知覧町
山間部にあります

島津家が公式に禁教令を出したのは1601年です。この頃が取締りが厳しかったのかと思いきや、時代が下った1835年の天保の大弾圧が最も激しかったようです。約14万人が摘発され処分の対象となりました。拷問、処刑など弾圧は過酷を極めました。江戸時代前期の方が摘発ははるかに軽いものだったとか。

立山のかくれがまのモニュメント
立山のかくれがま
内部

日本で最も信者人口が多いのは浄土真宗ですが、鹿児島県でも同様に浄土真宗徒が最も多いそうです。鹿児島では1868年の廃仏毀釈により、寺院が破壊され尽くされました。その後、明治9年に浄土真宗の禁制が解かれ、仏教空白地域となった鹿児島に浄土真宗が猛烈な布教活動を行った結果と指摘されています。そういえば、鹿児島県って寺院が他県と比べて少ないような。。。この辺りも調べてみたら興味深そうです。

にほんブログ村 写真ブログ 地域の歴史文化写真へ にほんブログ村 歴史ブログ 地方・郷土史へ にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
記事が参考になりましたら、こちらのボタンをクリックお願いします。