自力でファミリーヒストリー

おかげさまで、このブログも更新700回目を迎える事ができました。ご愛読いただいている皆様、いつもありがとうございます。今後もマイペースに更新を続けるので、引き続き宜しくお願い致します。

さて、記念の回には普段とは違った形の特集を行っていますが、今回は趣向を変えて自分のルーツを巡った旅のレポートをお届けします。実は昨年、母方の親戚からの情報で天正遣欧使節として活躍した少年の一人と血縁がある事が分かりました。

そこで今回は天正遣欧少年使節の一人、千々石ミゲルについて掘り下げたいと思います。千々石ミゲルは島原半島の入口にある、千々石町出身です。福岡から車で二時間半位でしょうか。まずは名物のご当地B級グルメ、じゃがちゃんで腹ごしらえしてお城へ向かいます。

車を走らせていると、地図に千々石ミゲル像と表示されたので寄ってみます。場所は雲仙市の役場前。

千々石ミゲル像

ありました。千々石の三大先人と呼ばれているようです。少年期の姿を型取った銅像です。

千々石ミゲルとは

千々石ミゲルは、釜蓋城の城主であった千々石直員の子として生まれました。お父さんは肥前有馬氏の三男で、有馬氏の分家にあたる千々石家を継いだ際に性を改めています。その後ミゲルは叔父にあたる大村純忠の影響で洗礼を受け、イエズス会の主導でローマ教皇へ謁見して帰国する事になります。これが歴史の教科書に載っている、天正遣欧使節ですね。

天正遣欧使節 右下が千々石ミゲル

そんなミゲルが生まれた釜蓋城を訪れてみました。神社の裏の道を車で登っていくと、公園化されたお城が現れました。小さな山城といった印象です。ミゲルが生まれた時代は、信長が活躍した戦国期真っただ中。周辺には多数の戦国大名達が覇権を争っていました。

父は佐賀の龍造寺軍との戦で亡くなり、家を継いだ兄も龍蔵寺軍に攻められて自刃してしまいます。当時4歳だったミゲルは、父の実兄で大村家に養子に入った大村純忠の元へ避難していました。

龍造寺 隆信

肥前の熊と呼ばれ、九州三強といわれた龍造寺隆信にご先祖様がやられていたとは・・・が、後に彼はミゲルの従兄弟・有馬晴信によって、無惨な最期を迎える事になります。

天満神社

釜蓋城へ続く道の途中にポツンと鳥居が建っています。実はこちらの天満宮は、ミゲルの父・千々石直員の遺言によって勧請されたお社です。

おそらく、あまり人も立ち寄らないのでしょう。参道も苔むしていて、何か神秘的な雰囲気です。

太宰府から勧請されているので、御祭神は菅原道真公です。そして千々石直員と、老臣たちも合祀されています。

では、少し長めの石段を登って行きます。ちょうど山の中腹あたりにお社があるようです。

こちらが本殿です。祀られている千々石直員はご先祖様なので、しっかりと拝みます。

お社自体は江戸時代に入ってから建てられたようですね。そして千々石直員の願い通り、その後は平和な世の中になりました。

では、境内を散策しましょう。天満宮だからか、梅の花の形をした手水舎。

奥には小さな滝の様なものもありました、湧き水かな?確かに山城だから、水場は大事ですよね。

さらに奥にお墓があるかと思ったら、記念碑でした。

これは何だろう?難しい字が彫りこまれています。しかし用途が分かりません。

千々石ミゲル供養碑

さて、本殿の横に新しい石碑が建てられています。実はこちら、千々石ミゲルの供養碑なんです。

石碑の台座には、令和三年の発掘で遺骨が見つかりました。そこで、こちらに分骨されたと書かれています。

ある意味、ご先祖様の墓参りになるのかな?神式でお祈りするのか、キリスト教式にお祈りするのか、分からなくて、とりあえずどちらも試みます。次回は大村で成長した少年ミゲル編です。