圧倒的な存在感の山門が見事な古刹

万正寺にやってきました。姪浜を通る度に気になっていたお寺です。

浄土真宗本願寺派のお寺で戦国時代(室町後期)に建立されました。

万正寺 山門

大変立派な山門です、圧倒されますね。

こちらのお寺は、創建当初は光照寺という寺名でしたが、正徳5年(1715年)に万正寺に改名されました。

立派な梵鐘もあります。除夜の鐘もついているのかな?

敷地が奥に続いています。奥の建物は納骨堂でしょうか?

本堂横には近代的な鉄筋造りの建物。法事の際の待合室とかでしょうか。

さて、こちらのお寺を筑前国続風土記拾遺で調べてみると、興味深い話が載っていましたので転載します。

萬正寺
三ヶ町に在。真宗西本願寺末也。開基の僧を道益といふ。寛永十九年二月木佛寺号を許さる。寺記あり。其説に大永の初年此村豊後に属せり。浦濱の二氏村中の事を掌りしか、租税の滞ることありしを、豊府怒りて計使酒井外記といふ者を遣ハして浦濱二氏を殺さしむ。外記来りて濱氏を殺せり。浦氏いまた此事を知らすして酒井を饗應しけり。酒井杯をとりて浦氏にさしけれハ浦氏其謀計を知らすして盃をうけて拝せし所をやかて酒井斬殺せり。此時三浦小太郎といふもの杓をとりて居たりしか、即座に酒井を斬殺し仇を報して富國を出奔し、上洛して本願寺に入り薙髪して僧になりけり。この時に年十七歳なり。名を道益と改む。其後年経て佛像を負て富國に還り享禄元年一寺を建立せり。初め道益渋川尭顕に仕えたりしかは、其追福の志ありて丘の西に寺を立光照寺と号す。道益永正六年生れ、天正八年正月七十二歳にて寂せり。其後また今の寺号に改しといふ。

筑前国続風土記拾遺 巻之四十三 姪濱村

主君の仇を討って仏門に入り、最終的にはお寺を開山するなど、なかなか波乱万丈な人生ですね。

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