佐賀藩が外国船に備えた台場
天気が良かったので、ちょっと伊王島の台場跡に行ってきました。
イギリス人の長崎で横暴したフェートン号事件を受けて、長崎を警護していた佐賀藩が、伊王島や長崎の各地に大砲を設置して、外国船に備えた砲台跡です。長崎に20以上の台場が整備され、伊王島には5箇所築いたそうです。2度と恥をかかされぬよう取り組んだ佐賀藩の本気度が伝わってきます。
伊王島大橋を渡ってすぐ場所にあるのが観音寺台場跡です。当時はもちろん視界が開けていたでしょうが、現在は草木が生い茂って沖がよく見えませんでした。この台場跡は装備の記録が残っていないので、どのような大砲があったかのかは分かっていません。
次に円通庵下台場跡に向かいました。ここに至っては、案内板が草で覆われていて、見つけるのに時間がかかりました。。。
ここに80ポンド砲など10門が据え付けられていたそうです。60ポンド砲があればオランダ船が沈められると考えられており、当時、ここを視察したロシア使節は、台場の堅固さに驚いたそうです。
干場台場跡は島の真ん中ほどに位置した場所にありました。現在は道路や墓場になっており、往時を偲ばせるものはありません。ここには80ポンド砲2門、36ポンド砲3門、24ポンド砲2門、12ポンド砲2門が設置されていたとか。
次は島の先端部からやや東寄りにあった中ノ田台場です。グーグルマップを頼りに散策しましたが、到達できませんでした。。。後で調べたら現在は台場に至る道は残ってないそうです。。。調べておけばよかった。。。
最後は島の最北端にあった出鼻(真鼻)台場跡です。現在の伊王島灯台公園展望台付近にあり、ここは探しやすかったです。
ここは台場の石垣跡が残っていましたが、写真撮るのを忘れてしまいました。。。島の最先端なのですが、軽装備で、36ポンド砲2門のみだったそうです。港に深く入っていくほど、守りが厚くなるんですかね。