大平寺穴観音と太平寺古墳
大平寺穴観音は福岡市南区の、柏原地区にある大平寺古墳群の中にあります。
この古墳は6世紀末から7世紀頃のもので、当初は7基ありました。しかし3基が消滅して、現在は4基になっています。
誰でも自由に見学できるようになっているので、早速入ってみましょう。
人工的な綺麗な石積みがそのまま残っています。ただ中は真っ暗なのでライトが必要です。
フラッシュを炊いて撮影してみました。中には観音様が安置されています。これが穴観音の由来ですね。
実は筑前国続風土記拾遺にもこの観音様について記載があります。
大平寺址
筑前国続風土記拾遺巻之四十五 早良郡下 橿原村
石祠あり。石佛の観音の像を置り。いと近代の作にて古物にあらす。東畔に森あり。其中に佛躰を刻付たる片石あり。是富昔は寺の境内の地なるへし。
かつてはこの辺の森一帯が大平寺の寺領だったようですね。
大平寺跡
続いて、地名の由来にもなっている大平寺跡を訪れてみました。
大平寺については、江戸時代の時点ですでに廃寺になっており、筑前国続風土記でもその跡が残っているだけと記述があります。
大平寺址
筑前国続風土記拾遺巻之四十五 早良郡下 橿原村
村南に在。今は圃名に呼へり。古へ千葉探題(千葉氏に探題なし。村民少しの勢ある人を称し探題と云事國中所々にあり)帰依の寺なりと云。
青柳種信は自身で調査した際、大平寺は千葉探題が保護したお寺だと地元の人から聞きとります。その後、調べたら探題に千葉姓の記録はなかったので、おそらく地方の豪族だろうと推察しています。
現在も石仏は沢山残っています。廃寺になった後も、地元の人が大切に保管していたようですね。
そして一角には鍵のかかった建物もありました。中には多くの仏像が安置されています。
しかし、施錠の為中が撮影できないので外側の説明板だけ。
また、野ざらしになっている石仏も沢山ありました。そして、それぞれに献花されています。
最後に隣の公園です。大平寺跡は現在は公園の一角に保存されています。