室町時代に起きた荘園領主と惣の利害対立

西山騒動をご存知でしょうか?旧早良郡の西山五カ村(現在の早良区四箇~西区西山)で室町時代に、西山の入山権を巡る争いが起こりました。

現在の西山五カ村

元々西山五カ村は、室町時代は聖福寺の荘園で、実際に寺から管理を任された下司が派遣されていました。そして、住民は西山の入山を独占する権利を、早良郡代である荒平城主からも認められていました。

西山騒動のはじまり

この西山の独占権は、村人が日々の薪や農業に使う下草などを採取していた、いわゆるライフラインでした。ところが天文13年、下司が姪浜などの海辺の村へ西山への入山権を大量に売り捌き、西山へ人が大挙して押し寄せました。

現在の姪浜

西山の住民たちは驚いて、道を封鎖したりして対抗します。しかし、徒党を組んで山へ乱入してきた者たちにより、大木は伐採され、山の恵みのほとんどを取りつくされてしまいます。

極めつけは、西山の住民たちが信奉していた五十猛神社のご神域の木々までも伐採され、西山はあっという間に禿山になってしまいました。そこで、耐えかねた村人達は名主を中心に団結し、早良郡代に訴えます。

西山が禿山になると聖福寺の荘園だけでなく、周辺全ての農作物に影響が出ると知った郡代は、すぐに下司を召喚して実態を調査しました。

その結果、下司職は解任された上で国外追放になり決着。さらに、下司だけでなく聖福寺の僧まで関わっていた事まで発覚しました。

現在の聖福寺

実はこの時代、似たような騒動が全国で頻発しています。農民達が力をつけて「惣」という組織を作り、荘園領主の横暴に対抗しました。また各地で起きる紛争の解決には、その土地の大名を頼る事が多くなり、結果として戦国大名達が覇権を争う時代に変わっていきます。

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