激しかった宇佐空襲

前回、前々回は宇佐海軍航空隊基地の遺構をご紹介しました。今回は、この基地から数キロほど離れた場所の戦争遺構を巡ります。

宇佐は航空隊があったため幾度か空襲に見舞われましたが、当然、民間の被害も出ました。1945年4月21日の空襲では、連光寺本堂や周辺の民家が全壊。しかし連光寺の山門だけは戦果をまぬがれ、「生き残り門」と呼ばれるようになりました。


津島屋本家の酒蔵跡です。津島屋は、酒造蔵だった今戸家の屋号で、空襲により甚大な被害を受けましたが、酒造の柱と屋根部分が残りました。って、ほとんど残って焼けてしまったのではないかと思いますが、この屋根の一部が現在も保存されていることから、周辺は本当に壊滅的な被害を受けたのだと思います。

柳ヶ浦小学校の塀です。この塀には機銃弾の痕が残っています。

高居地下壕は空襲を避けるために掘られた横穴壕です。総延長は146mにも及びました。それだけ宇佐は激しい空襲に晒されたのでしょうね。このほかにも戦争の爪痕は至る所にあり、宇佐を訪れた際には是非とも訪れていただきたいです。車で2時間くらいで回れますし、ほとんど駐車場が設置されていますので。

宇佐市平和資料館

ここで校了するつもりでしたが、宇佐市平和資料館で衝撃的な気持ちになったので、ご紹介します。

館内では宇佐海軍航空隊の歴史やゼロ戦などが解説してあります。当初は艦上攻撃機と艦上爆撃機などの練習する施設だったのですが、戦況の悪化に伴い、特別攻撃隊の基地となりました。いわゆる特攻隊ですね。宇佐からは102機が出撃し、154人が戦死しています。

これは日本海軍が開発した特攻兵器「桜花」です。1945年2月、この桜花による特攻専門部隊「第721海軍航空隊」の一部が宇佐基地へ配備されたそうです。これは母機に吊されて標的が近づくと切り離されたのちにロケット推進力で敵艦に突っ込んでいくものでした。

機体にはエンジンやタイヤが無く、世界で唯一の特攻専門兵器とされています。自分の意思で移動することができない点で、特攻機のゼロ戦とは大きな差があるような気がしました。人権が無いというかモノとしてしか扱われていないというか、、、もちろん乗組員の方には畏敬の念を持ちますが、本当に悲壮感が漂う兵器でした。

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