享保の大飢饉
天気が良かったので、ちょっと千人塚に行ってきました。
千人塚は享保の大飢饉で亡くなった糸田町の村人を供養するために建てられたものです。
享保の大飢饉は1732年に西日本を中心に発生したもので、江戸時代の三大飢饉のひとつに数えられています。初めて知ったのですが、特に福岡は壊滅的な被害を受けたそうで、死亡率は福岡藩で人口の25%、小倉藩が33%、糸田町がある田川郡内は27%にも及んだとか。なかでも糸田町の死亡率は50%にも達したとか。驚くべき数字ですよね。
死亡者数で見ると福岡藩は人口36万人中、死亡者は10万人を超えたとか。3分の1から4分の1がいなくなる訳ですから、壊滅的な被害を受けたことがうかがえます。
福岡市内にも享保の大飢饉を供養する史跡は、結構あるみたいですね。また、ご紹介したいと思います。
石碑の正面には梵字の下に「南無阿弥陀仏」が刻まれていました。側面には、1732年に稲が腐り、老若男女44人が餓死したという意味の碑文があります。稲が腐るとは害虫にやられたんでしょうね。。享保期(1716年~36年)の福岡は毎年のように自然災害が発生したそうです。
そういえば昨年、福岡の一部では稲が病気になり大変な不作でした。収穫量は1割程度だったような。享保の大飢饉にあるとおり、虫にやられて稲が腐った状態だったと思います。当時は米が収穫できなかったら、死ぬしかないのだから、大変な時代ですよね。