葉隠れゆかりの地
天気が良かったので、ちょっと松梅地区に行ってきました。
三瀬峠付近の佐賀市大和町松梅地区には山本常朝の関連史跡がいくつかあります。
山本は武士道と云うは死ぬ事と見付けたりで、知られる葉隠の著者ですね。
山本常朝、めっちゃ気難しそうですね。
華蔵跡
まずは華蔵跡から。鍋島家の菩提寺である高伝寺の住職だった湛然和尚が佐賀藩主に抗議して、10数年以上も禁足生活していた庵跡です。龍造寺家菩提寺の住職が藩内12か寺の列に加えてもらうよう、佐賀藩 2代藩主・鍋島光茂に直訴したところ、光茂の怒りを買い死罪を命じられたことに対して湛然和尚は助命を嘆願。聞き入れられず、華蔵庵を建てて10年以上ここで禁足で生活しました。この時、青年だった山本常朝は華蔵庵を訪れ、湛然和尚の教えを請うたそうです。
国道263号沿いにある松梅公民館角の三反田交差点西の脇道を登って行きます。
湛然和尚の碑
湛然和尚の碑の隣に段々になっている土地があります。ここが華蔵庵跡です。
説明板がありました。
石田一鼎の石碑
湛然和尚と同じく山本常朝に影響を与えた人物が石田一鼎です。仏教、儒教に詳しく、佐賀藩第一の学者と言われた一鼎ですが、湛然和尚と同様、光茂の怒り触れ閑居しました。道の駅大和「そよかぜ館」の近くに石碑が建っており、この付近に閑居跡があります。
道路をはさんで、そよかぜ館があります。
石田一鼎の石碑。山本常朝は一鼎を慕い、閑居を訪れたそうです。
切腹地蔵
湛然和尚は助命嘆願が聞き入れられず、出国しようとしましたが、藩の捜索隊に追いつかれ帰還を要請されました。しかし、湛然和尚はこれを拒否。使命を果たせなかった藩の使者は申し開きのため、切腹してしまします。この時の使者を祀った石碑が切腹地蔵です。
松梅公民館南の名尾川沿いにあります。
切腹地蔵
お地蔵の隣にある石碑。切腹をするに至った経緯が刻まれていました。
全国的に有名な葉隠れですが、ゆかりの場所が身近なところにあるとは思いませんでした。もっと葉隠れについて調べてみたいと思いました。