武家屋敷や商家が往時の姿をとどめる
天気が良かったので、ちょっと杵築城下町に行ってきました。
杵築の城下町は南北の高台にそれぞれ武家屋敷があり、谷間には商家が軒を連ねる、凸凹のある日本唯一の武家屋敷です。また、大きな坂が何本も整備されているのも特徴です。北台武家屋敷から見て回りました。
番所の坂を上ってきました。城下町には6カ所の番所があったそうですが、このうちの一つが、この番所です。
当時は坂の下に番所があったそうで、常に番人を置いて、関所の役割を担っていたそうです。
番所の坂を上ると見えてくるのが大原邸です。上級武士の武家屋敷です。
中に入るのは有料です。杵築城の受付で杵築城、佐野家、大原邸、一松邸、磯谷邸、重光家、きつき城下町資料館に入れる共通観覧券を販売していたので、購入しました。かなりお得なものとなっております。
見事な茅葺屋根ですね。敷地は600坪もあります。
広いお家です
回遊式庭園
家主は最初から大原家ではなく、相川東蔵(120石)、中根斎(家老新地350石)などが居住し、文政(1818年~31年)以降に大原家が住みだしたそうです。
次は大原邸のお隣の能美邸に向かいました。
幕末期の建物とされ、平成20年から2カ年かけて大規模改修が行われて、建築当時の姿がよみがえりました。
現在はお茶屋として営業しています。
さらに進みます
藩校「学習館」の門です。現在は杵築小学校の門として利用されています。このような利用形態は全国でも大変希だとか。
門をくぐると藩校模型学習館があり、復元模型が設置されていました。
藩校模型
勘定場の坂です。杵築城から北台武家屋敷を結びます。収税や金銭出納の役所があったことから、勘定場の坂と呼ばれたそうです。
勘定場の坂のそばにあるのが磯矢邸です。北台武家屋敷の端っこに建つ武家屋敷跡です。建築当時は楽寿亭と呼ばれて、藩主の休憩所として用いられ、後に武家屋敷となりました。
棟札が展示されていました。文化13年、14年とありますので、1816年に建てられたものだと推測されています。数枚の棟札があるのは、当主となった次席家老の加藤右衛門が増改築を繰り返したためだと思われます。
大正時代の1916年に磯矢氏が買い取り、平成6年に杵築市に寄贈されました。なので磯矢邸なのですね。納得。