武家屋敷の谷間に広がる商人のまち
前回で北台武家屋敷のほぼ半分を見て回りました。
今回は残る半分と北台と南台の間にある商家をご紹介します。
杵築小学校の正門まで戻りました。ちょうど番所の坂付近ですね。
300mくらい歩いたでしょうか、佐野家に到着です。藩医だった佐野家の居宅ですね。
佐野家の始祖である徳安は三重県の出身で、1615年大阪の夏の陣後のごたごたを避けるため、豊後の岡藩の藩医・佐野卓節に身を寄せて医学を学びました。
その後、杵築に移り、「刀圭ノ妙、神ノ如シ」と歌われるほどの腕前を見せ、当時の杵築藩主・小笠原忠知から侍医として召し抱えられました。それから14代400年にわたり、医家として名を馳せました。
驚かされたのは昭和までお医者さんとして活躍されていたそうです。
昭和38年のレントゲンの機械。さきほど昭和までと書きましたが、御子孫はよその土地でお医者さんをされているとか。ガイドの方から丁寧に説明していただいたのですが、佐野家の人は医学だけにとどまらず、あらゆる分野で活躍されていたとか。大変興味深いお話を聞かせてもらいました。
坂を下りて商家の通りにきました。
備後屋・本町店です。海鮮料理屋として営業されていました。
綾部味噌です。創業明治32年。建物は18世紀中頃で前身は酢屋だったそうです。建物は市指定有形文化財になっています。
きつき衆楽観です。1887年に芝居小屋として誕生。1953年に廃館しましたが、町の有志により2009年に再建されました。杵築の商家は今もなお営業されているのが、魅力のひとつですね。