日本の降伏文書に署名した外相の生家

北台、南台武家屋敷、商家通りとも、あらかた説明しましたが、
あの有料チケットで訪れていなかったのが重光家です。

それもそのはず、重光邸は杵築の城下町から数㎞離れているので後回しにしていました。

重光邸は、太平洋戦争期の外交官・政治家である重光葵が幼少期に過ごした屋敷です。もともとは豊後大野市の士族の次男として生まれたそうですが、母方の実家に子供がいなかったため、杵築の重光家に養子に入りました。

重光家の蔵です。重光は蔵の2階で勉強に励み、旧制杵築中学、第五高等学校独法科を経て、東京帝国大学法科大学を卒業します。

蔵の2階には重光ゆかりのものが展示されています。

蔵から出て母屋に。

ここには重光の遺品や写真の数々が展示されていました。

重光です。

重光は学業は大変優秀で、スポーツにも励む文武両道の少年だったそうです。写真は杵築中学校時代の学業成績の順位表です。2番目に重光葵の名が確認できます。

中学校卒業時には成績は1番だったそうで、卒業式には卒業生総代答辞を詠んでいます。写真がその原稿ですが、少年が書いたものとは思えませんね。

重光葵の功績は、第二次世界大戦の終結に関わったことではないでしょうか。外務大臣として、1945年9月2日に戦艦ミズリー号で日本の降伏文書に署名しました。戦後も外務大臣を日本が国際社会に復帰することに尽力しました。重光に大変興味があったため、大満足で邸宅を後にしました。

このほか城下町周辺には野上家の屋敷があります。
野上家は昭和初期に旅館経営していた商家です。時代が流れ邸宅は杵築市が管理するようになり、老朽化が進んだ建物は解体されましたが、使える建材を利用して東屋を復元しました。

東屋。

野上家屋敷と同様に脈絡がないですが、商家の通りには井戸があります。杵築の武家屋敷は北台、南台とも高台にあり、井戸を掘ることが難しいので、この井戸の水を使用されてたと推測されます。毎日、使用人が水を坂を上って運んでいたんでしょうね。いろいろ見るところがあって、杵築の城下町はおすすめです。

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