1000回、書いちゃいました

書き綴ること幾星霜、ついに早良風土記も通算1000回を迎えることとなりました。もっとも、2人体制ですので、わたし一人が1000回書いたわけで訳ではないですが。。。とにかく、これもひとえに、日々お読みくださる皆様のおかげと、心より感謝申し上げます。今後ともよりよい記事を目指し、鋭意執筆してまいりますので、どうぞよろしくお願いいたします。

さて、100回ごとにお届けしております特集記事ですが、今回は「玄洋社」を取り上げたいと思います。玄洋社は、明治期から敗戦に至るまで、政財界や国際関係に深い影響を与えた福岡発の政治結社です。しかし、その名を地元ですら耳にする機会は決して多くありません。

それは戦後、連合国軍総司令部(GHQ)によって「侵略戦争を支えた超国家主義団体」とレッテルを貼られ、歴史の表舞台から追いやられたことが大きな要因でしょう。以来、玄洋社を語ること自体がタブー視され、人々の記憶から次第に消えていきました。とはいえ近年、世論や歴史観の変化にともない、その存在が再び注目されつつあります。

玄洋社は福岡に根を持ちながらも、日本、そしてアジアにも影響を与えた、ちょっと不思議でスケールの大きな集団だったと思います。玄洋社には、強烈な個性を持った人物たちが多く集まりました。中には、革命家、実業家、教育者、軍人、果ては外国の運動に関わった人まで。まるで明治の「アベンジャーズ」のような集団とも言えるかもしれません。

玄洋社の精神的支柱

もちろん、連載は玄洋社の顔ともいえる頭山満(とうやま・みつる)からスタートです。ペリー来航のわずか2年後に福岡で生を受け、そして玄洋社が解散させられる2年前にその生涯を閉じた彼の人生は、まさに玄洋社の歴史そのものといっても過言ではありません。まずは少年時代から。
頭山満(1855~1944)
玄洋社(1881~1946)

今から170年前の1855年に頭山満は筑前国早良郡西新町(現在の福岡市早良区西新)で、福岡藩士・馬廻り100石取りの筒井亀策の三男として生まれました。幼名は乙次郎でしたが、鎮西八郎為朝にあこがれて9歳の頃に自ら八郎と改名しました。自ら改名したのが、驚きですね。藤原頼長から官位を授けられようとした際に、「鎮西八郎にてたれり」と断った逸話に感銘を受けたそうです。さらに13歳の時に太宰府天満宮を訪れ、満の字に感じ入り、その場で名を満と改めました。帰り際に友人に「乙次郎」やら「八郎」と呼ばれても知らぬふりし、「俺はきょうから満だ」と言い放ったそうです。自ら名を変えることで“自分を律し、志を定めていく姿勢が垣間見えます。

クスノキのエピソード

有名な話ですよね。頭山は11歳の時に自宅の庭にクスノキを植えました。これは南北朝時代の忠臣・楠木正成に憧れ、「自分も正成公のような人物になりたい」という強い思いからでした。彼はこのクスノキに向かって「もし、俺が世の中にとって何の役にもたたんような人間になっとったら、お前も枯れやい」と念じたそうです。このクスノキは現在でも、頭山の生家近くの公園に移植され、どっしりと立っています。

目の病が運命を変える

16歳のころ、頭山は眼病を煩い、人参畑の診療所を訪ねます。この治療をきっかけに女医であり儒学者でもあった高場乱(たかば・おさむ)の開いた興志塾に通うようになります。場は治療の合間に塾生たちの議論や講義を耳にし、それが面白くて夢中になっていった――というのが、頭山が本格的に学問の道に入った原点です。写真は興志塾(通称・人参畑塾)があった福岡市博多区博多駅前4丁目。

仙人修行

頭山満は後年、自らの幼少期を「子供の時分はわがままのし放題であった。恐ろしいほど我が強く、兄のものでも姉のものでも取り上げてしまう」と語っています。その言葉どおり、手に負えないほどの腕白ぶりで、周囲の大人たちを困らせることもしばしばだったようです。
しかし、そんな彼が、いつしか自らの内面と向き合うようになります。大きな木の下で座禅を組んでみたり、観音堂に入り込んでは、何日も眠り続けていたという逸話も残されています。まるで子どもなりの「仙人修行」とでも言えるような、不思議な時間を過ごしていたのです。

そして、17歳のとき――
太宰府の宝満山に籠もった頭山は、夜の山頂で、満天の星空を見上げながら、ふと何かに打たれたといいます。そのときの心境を、彼は後にこう語っています。「今後、一切の我欲をひとまとめにして、すっぽり捨ててしまおうと決心した。」これが、のちに知られる無欲で闊達自在な頭山満へと生まれ変わる、ひとつの転機となったのでしょう。
荒れた気質を持った少年が、志を持つ青年へと変わる――
そのきっかけとなったのが、ただ静かに瞬いていた星空だったのかもしれません。次回に続く。

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