佐賀が生んだ蘭方医
佐賀県神埼市。山裾の静かな集落に、伊東玄朴の旧宅はあります。石垣の上に建つ茅葺き屋根の家は、近代西洋医学の礎を築いた人物の生まれ育った場所です。

江戸後期の医師であり、幕末から明治にかけて日本の医学を近代化へと導いた玄朴。その足跡をたどる第一歩は、この素朴な家から始まります。
学問を胸に
入口に立つ案内板には、玄朴の生涯が記されています。1801年にこの地で生まれた玄朴は、幼いころから学問を好み、のちに長崎でシーボルトや高野長英に学びました。西洋医学をいち早く取り入れ、佐賀藩の医学・蘭学の指導者として活躍します。

やがて幕府からも召され、江戸で「西洋医学所」の設立に関わり、日本の近代医学の制度づくりに携わることとなりました。
藩医の家の佇まい
門をくぐると、往時の空気が漂います。竹垣や石段の趣は、武士や藩医の家にふさわしい品格を感じさせます。

母屋は白壁と茅葺き屋根が印象的な造り。質素ながらも清らかな佇まいに、学問に打ち込んだ医師の暮らしが偲ばれます。
胸像にこめられた思い
庭には玄朴の胸像が立っていました。

幕末の動乱期、玄朴は「人の命を守るための学問」を信じて突き進みました。その眼差しは、いまも訪れる人に未来を見据えるよう語りかけているようです。
郷土の誇り
裏山に建つ石碑には「伊東玄朴先生誕生地」と刻まれています。

地元の人々が、この偉人を誇りに思い、代々語り継いできたことが伝わってきます。
近代医学の父を伝える展示
館内に入ると、玄朴の肖像が迎えてくれます。和服に刀を差しながらも、西洋医学を取り入れた姿は、まさに時代の転換点に立った人物像です。

畳敷きの展示室には年表や資料が並び、玄朴の生涯を順にたどることができます。蘭学を学んだ若き日、藩医としての活動、江戸での医学所設立、そして明治に至るまで――。ここを歩けば、一人の医師の生き方とともに、日本の医学史が見えてきます。
医学の志を伝える場所
伊東玄朴は、学問を実用のために生かし、人々の命を救うことを信念としました。旧宅と庭園は、佐賀市指定文化財としていまも公開され、訪れる人にその志を語りかけています。山あいの小さな旧宅に足を運ぶと、幕末から明治へと移りゆく時代を生きた一人の医師の息遣いが、確かにそこに残っているのを感じました。