江戸のメディア王が眠る近代的な寺院
べらぼう展を観終わって、吉原に向かう途中で蔦屋重三郎のお墓がある正法寺(しょうほうじ)に寄ってみました。

近代的な鉄筋ビル型のお寺で、東京だなぁという感じです。

慶長6年(1601年)の開山ということなので、江戸期に入る直前の頃ですね。開山は今戸に寺地を拝領して創建したとありあます。延宝9年(1681年)に新鳥越町(現在の東浅草)の現在地へ移転しています。

やはりドラマの影響でお墓参りに来る人が後をたたないのでしょう、丁寧な案内がありました。ドラマのポスターも貼ってあります。

入ってすぐに御本尊があります。参拝して外墓地にいくと重三郎の墓です。QRコード式の説明があるようです、現代的だなぁ。

ビルとビルの谷間に作られた外墓地。墓数はそれほど多くはありません。

お寺の方のご厚意でちゃんとお線香が用意されていました。お賽銭を入れてありがたく使わせていただきます。

チャッカマンで火をつけて、重三郎のお墓参りに向かいます。

また、お寺の方がお手製でお寺に伝わる話や、江戸時代に建てられたお墓の拓本の写真などを説明用に貼ってくれています。

重三郎のお墓の前に「田中智学先生創業之地」という石碑があったので、お名前を調べると立憲養正會という政治団体を創設した宗教家の方ですね。
蔦屋重三郎の墓
こちらが蔦屋重三郎のお墓です。江戸期に建てられた本来のお墓は、空襲や関東大震災で損壊してしまったそうで、今あるのは新しく建てられた蔦重とお母さんの顕彰碑と、蔦屋家(喜多川家)のお墓になります。

向かって右側の黒い石が、蔦屋重三郎とその母を称える碑で、親交のあった文人・石川雅望や大田南畝による碑文が刻まれています。二人とも狂歌師としてべらぼうにも出てきますね。

そしてこちらが新しく建て直された重三郎のお墓です。蔦屋重三郎の本名「喜多川柯理(きたがわ からまる)」と刻まれています。

江戸のメディア王と讃えられ、数々の才能を発掘して成り上がった、稀代の天才プロデューサーにあやかれるようにしっかりとお参りしました。