吉塚商店街の入口にある、吉塚地蔵堂にやってきました。堂内には地蔵菩薩像を中心に複数の石仏が安置されています。

この地蔵堂がある 「吉実塚(よしざねつか)」 と呼ばれる塚こそが、この地域の地名「吉塚」の由来です。戦国時代に筑後(現在の福岡県南部)を本拠とした武将 星野吉実(ほしのよしざね) とその弟 吉兼(よしかね)がいました。

彼らは豊臣秀吉による九州平定の時代、薩摩の島津氏と敵対し、粕屋郡の高鳥居城に籠城します。吉実たちは奮戦しましたが、最終的には落城し自害しました。

敵味方を問わずその武勇を称え、彼らの首級はこの地に丁寧に葬られ、祀られた――それが「吉実塚」です。

やがて地名として「吉実塚」の呼び名が一般に広まり、転じて「吉塚」となったと考えられています。

地蔵堂が建てられた時期は江戸時代初期、ある尼僧が星野兄弟の霊を慰めるためにこの地に地蔵尊を祀ったことが始まりとされます。

地域では毎年7月下旬に「吉塚地蔵尊祭」が行われ、古くからの信仰が現在に受け継がれています。

火の神を祀る社 ― 秋葉宮
吉塚地蔵堂のすぐ隣に鎮座しているのが「秋葉宮(あきばぐう)」 です。鳥居の扁額には「秋葉宮」と記され、ここには 火防(ひぶせ)・火伏せの神 として知られる祭神が祀られています。

吉塚の秋葉宮は規模こそ小さいものの、近隣住民が火災や災難を避けるために手を合わせてきた社です。かつて地域で大火があった際に、霊威によって火災が拡大せずに済んだという言い伝えも残っています。

社の中には「正一位 秋葉大明神」と書かれた扁額が見られ、地元の信仰がいかに厚いかをうかがわせます。

地蔵堂と秋葉宮が隣り合って存在することには、戦国の歴史と、江戸期以降の日常生活を守る願いが重なり合った形でこの地に根を下ろしています。