早逝した新撰組最強の天才剣士

新選組一番隊組長・沖田総司が最期を迎えた場所へいってみました。若くして病に倒れたその最期については、史料が乏しいこともあり、いくつかの説が伝えられています。今回訪れたのは、千駄ヶ谷駅の近くに残る「沖田総司逝去の地」と伝えられる場所の一つです。

現地には「沖田総司逝去の地」と記された案内板が設置されています。案内板によれば、沖田は新選組関係者の縁を頼り、この付近にあったとされる植木屋に匿われて静養していたと伝えられています。

沖田総司は文久末から元治年間にかけて結核を患いました。慶応4年(1868)、戊辰戦争が始まる頃には病状はかなり進行していたとみられ、新選組が甲陽鎮撫隊として江戸を離れた後も、沖田は江戸に残って静養。そして同年、二十代半ばという若さでこの世を去りました。

沖田といえば、療養中に庭に来た黒猫を斬ろうとして逃げられてしまうエピソードが有名ですが、個人的にこれは子母澤寛の創作だった可能性が高いと思っています。歴史小説は取材したエピソードと話を盛り上げる為の創作が入り混じるので、現代では判断しようがないのですが。

都市の片隅に残る小さな史跡は、華々しい歴史の裏側にある「静かな終幕」を思い起こさせてくれます。沖田総司という天才剣士の最期に思いを馳せながら、この地を後にしました。