上野戦争の激しさを残す寛永寺の総門
東京都荒川区にある円通寺(えんつうじ)にやってきました。幕末維新期の激動を今に伝える貴重な史跡を数多く有する、幕末ファンの間では有名なお寺です。

円通寺でもっとも注目される史跡のひとつが、境内に現存する旧上野寛永寺総門です。一般には「黒門」と呼ばれています。この門は、江戸幕府の菩提寺として栄えた寛永寺の正門にあたる建造物でした。

慶応4年(1868)、戊辰戦争の一局面として起こった上野戦争により、寛永寺の堂宇の多くは戦火に包まれました。戦後、荒廃した寛永寺から総門が円通寺へと移築され、現在まで保存されてきました。門の材には激しい戦闘を思わせる損傷が見られ、当時の凄惨さを物語っています。

この黒門は、現在荒川区指定有形文化財となっており、単なる寺門ではなく、幕末維新史を伝える建築史料としても高く評価されています。門の前に立つと、かつてこの門をくぐり、上野の山へ立て籠もった幕臣達の姿を想像してしまいます。

門に近寄ってみると、小さな穴がポツポツと空いているのがわかります。これは上野戦争時にできた弾痕です。いかに激しい戦争だったかが分かりますね。

彰義隊を中心とした旧幕府軍は徹底抗戦を試みますが、圧倒的な火力の新政府軍の前にわずか半日で敗走。多くの若者が命を落とし、その中には新選組の原田左之助等も含まれていました。

この黒門は、円通寺の住職が戦死者の遺体が上野の山で野ざらしになっているのをみかね、現在の上野西郷像のあたりで火葬供養をしたのが縁で、明治40年(1907)に移設されました。

四十八首塚、七重塔、鷹見の松など、他にも文化財を多数有しています。首塚は源義家が奥州を平定した際、討ち取った四十八人の敵の首をこの地に埋めて塚を築いたといわれています。この塚が「四十八首塚」と呼ばれ、後に「小塚原」との地名の由来になりました。

鷹見の松は徳川家光公が鷹狩の際に、鷹が円通寺の松に止まった事から名付けられました。七重塔は基部四面に『四十八首塚』と『鷹見の松』の伝誦を刻している、荒川区最古の文献といわれます。

近代的な寺院って苦手なんですよね。特にこちらはロケット台みたいで風情がないなぁ。やはり、お寺は日本建築であって欲しい。ビルだとどうしても新興宗教感が出てしまいます。

こちらは何の建物なのかわかりませんでした。フェンスに囲まれて立ち入り禁止です。

さて、次回は彰義隊士の墓をご紹介します。