日本赤十字の礎を築いた人物の原点

佐賀市に残る佐野常民(さの つねたみ)の生家跡にやってきました。佐野常民は、佐賀藩出身の蘭学者であり、明治期には日本赤十字社の創設に深く関わった人物として知られています。

佐野常民は文政11年(1822)、佐賀藩士の家に生まれました。若い頃から学問に秀で、幕末には藩の命を受けて長崎の海軍伝習所で学び、西洋式の医療や軍事知識を吸収します。

published by 東洋文化協會 (The Eastern Culture Association) – The Japanese book “幕末・明治・大正 回顧八十年史” (Memories for 80 years, Bakumatsu, Meiji, Taisho), パブリック・ドメイン

明治維新後は新政府に出仕し、近代国家建設に関わるさまざまな分野で活動しました。その中でも特筆すべきは、人道的な救護制度の確立に尽力した点です。

西南戦争をきっかけに、戦傷者や民間人を敵味方なく救護する必要性が強く認識されるようになり、国際赤十字の理念に基づく組織の設立を推進しました。

明治10年(1877)に「博愛社」が設立され、これが後の日本赤十字社へと発展していきます。単なる制度の導入者ではなく、人命尊重という思想を日本社会に根付かせようとした人物でした。

佐野常民は、「佐賀の七賢人」の一人として数えられています。佐賀の七賢人とは、幕末から明治にかけて活躍し、日本の近代化に大きな影響を与えた佐賀藩出身の人物たちを指します。

大隈重信や江藤新平などと並び、佐野常民もまた、政治・制度・思想の面から日本の近代国家形成を支えました。

現在、生家そのものは残されていませんが、佐賀市内には佐野常民の生家跡を示す碑や案内が整備され、静かにその存在を伝えています。

この場所は、佐賀城下の武家屋敷が立ち並んでいた地域にあたり、藩士の子弟が学問と武芸に励む環境が整っていました。常民もまた、藩の教育制度の中で基礎を築いたと考えられています。

佐賀市内に点在する常民像

佐賀市内には、佐野常民の功績を今に伝える銅像が二体建立されています。

一つは、JR佐賀駅近くの維新広場に設置された銅像です。こちらは「佐賀の七賢人」の一人としての佐野常民を顕彰するもので、近代国家形成に貢献した人物の一人として位置づけられています。

駅前という人通りの多い場所に立つこの像は、佐賀が生んだ近代日本の担い手の存在を、日常の中で静かに後世に伝えています。

ただ、全員ちょんまげスタイルなので、いまいちこれが佐野先生なのか自信がもてない。多分あってるはずですが。

もう一つは、佐賀県赤十字血液センター前に立つ銅像です。この像は、日本赤十字社の創設に尽力した佐野常民の人道的精神を象徴する存在であり、医療と救護の現場に寄り添う形で設置されています。

この二つの銅像は、佐野常民の功績を異なる側面からとらえ、医療・人道の佐野常民と、近代化を支えた佐賀藩士としての佐野常民をそれぞれ表しています。

投稿者

mokudai

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