高杉晋作の慰霊の地
東行庵には、功山寺を訪れた勢いのまま足を延ばしてみました。入口には境内案内図が掲げられていました。見てみると、銅像や詩碑、志士の墓など、思った以上に見どころが多い場所のようです。単なる墓所というより、晋作ゆかりの史跡が集まった公園のような場所という印象でした。

境内に入ると、大きな石碑が目に入ります。最初は「これが晋作の墓なのかな」と思ったのですが、どうやら違うようです。これは 高杉晋作の顕彰碑 でした。東行庵には晋作の墓だけでなく、彼を顕彰する碑や、志士たちの墓なども多く残されています。幕末史が好きな人にとっては、なかなか見応えのある場所だと思います。
晋作といえば、やはり 下関戦争後の講和交渉 が印象に残ります。ぼろぼろに負けた状況にもかかわらず、列強側が求めた 彦島の租借 を頑として断ったという話は有名です。もしここで受け入れていたら、彦島は香港やマカオのような場所になっていたかもしれません。場合によっては、日本の歴史も違ったものになっていた可能性すらあります。それほど大きな分岐点だったのではないかと思います。

当時の交渉の様子は、英国外交官 アーネスト・サトウ の記録にも残っています。それによると、晋作の態度はかなり堂々としていたそうです。負けている側とは思えないほどの態度だったとか。ドラマなどでもよく描かれる場面ですよね。ある作品では、古事記を暗唱して伊藤博文に訳させる、というような描写もありました。
また別の作品では、賠償金や燃料などの条件には「イエス」と答えるのに、彦島の租借だけは きっぱり「ノー」 と断る場面が描かれていました。しかも交渉中、晋作は条件に対して 「イエス、イエス」 としか言わない。それを見た井上馨(萩原流行が演じていました)が思わず、「おまえ、イエスしか英語知らないのか!」と突っ込む場面があります。しかし、いざ彦島租借の話になると、晋作はそれまでの「イエス」とは打って変わって、「ノー」と、力強く断るのです。ああいう描き方を見ると、なかなか格好いい人物だなと思ってしまいます。

境内には晋作の墓もあります。墓石には 「東行墓」 と刻まれていました。東行とは、晋作の号の一つです。

また、境内には梅の木が多く植えられています。晋作は桜よりも 梅の花を好んだ と言われています。訪れたときは、満開……と言いたいところですが、ちょうど 満開を少し過ぎた頃 でした。それでも境内には梅の花が広がり、なかなか風情のある景色でした。

境内には 高杉晋作の銅像 も建てられています。堂々とした姿で、なかなか格好いい像です。……ただその時、私はというと。寒さのせいか、頭の中は「攘夷、攘夷」ではなく 「尿意、尿意」。真剣にトイレを探して境内をうろうろしていました。歴史ロマンと現実は、なかなか両立しません。

境内には晋作の有名な句碑もあります。
面白き
こともなき世を
面白く
という句です。
この言葉を好む人は多いと思います。ただ、この句には続きがあります。
すみなすものは
心なりけり
これは、晋作の死後、歌人の 野村望東尼 が返した句です。この返句があるのとないのでは、意味の受け取り方が大きく変わるように感じました。