コンビで戦後の大分をけん引した知事と市長
天気が良かったので、ちょっと木下都・上田保の像に行ってきました。
木下郁は、1894年に宇佐市に生まれ、1918年に東京帝国大学法科を卒業。民間企業勤務や海外留学を経て弁護士となりました。太平洋戦下では衆議院選挙に立候補し当選。戦後は公職追放を受けますが、1955年には大分知事選に当選し、4期16年にわたって県知事を努めました。大分県の工業化を進めたほか、九州横断道路の着工、大分県立図書館の建設、新大分空港の着工等に携わり、大分の発展に寄与しました。
上田保は1894年に大分市に生まれ、法政大学に進学し、弁護士となります。戦後の1947年には大分市の初代公選市長となり、以後4期16年努めます。在職中は独創的な発想で大分市を復興させアイデア市長の名で親しまれました。特によく知られているのは、高崎山で作物を荒らしていたサルを餌付けし、高崎山自然動物園を開園。大分の重要な観光資源としました。