太閤検地により神領を没収された村社
細石神社(さざれいしじんじゃ)へやってきました。君が代の歌詞に出てくるさざれ石は、こちらの神社を指している説もあります。
かつては伊都の中心で社領もかなり広かったようです。しかし、戦乱や太閤検地により縮小されてしまいました。
御由緒です、豊臣秀吉により社領が没収されてしまった事が明記されています。そして、元禄以前の記録に関しては、残念ながら消失しているようです。
三雲村の村社であることを示す石碑が建てられています。
年季の入った手水鉢、まだ現役のようです。
細石神社 社殿
それでは、お参りしましょう。こちらが細石神社の社殿になります。御祭神は、磐長姫命・木之花開耶姫命という2柱の姉妹の女神様です。
それほど大きな社殿ではありませんが、しっかりと狛犬も揃い、風格があります。
そして、神殿の内部はこのような感じ。風通しが良く綺麗に清掃されていました。
さらに、社殿の横には大きな御神木があります。
加えて社務所も完備、おそらく普段は無人で正月などにしか開かないのでしょう。
最後に境内社として、いくつか小さな祠がありますが、神様の名前は分かりませんでした。
さて、筑前国続風土記拾遺にはこちらの神社の事がかなり詳細に書かれていました。
三雲村
筑前国続風土記拾遺 四十六 怡土郡上
佐々禮石社
村南に在。産神なり。所祭木花開耶姫命相殿磐長姫命なり。本殿は彦火々出見尊の母君にてましませは、高祖明神と御社東西に相望めりとそ。いにしへは神田も多く神人も十二家ありしか、天正十五年太閤に神領を没収せられ、昔祭日ありし流鏑馬も中絶し、馬場の境もしらさりしを、寛永の末村民等社前の圃を以て馳道となし、祭日九月廿六日菖例の流鏑馬を再興せしより、其事今に怠らす。