ひっそりと立つ供養塔
天気が良かったので、ちょっと今村刑場跡に行ってきました。
島原城から南西に約2㎞ほど離れた場所にあったのですが、かつてこの一帯は今村といい、海岸沿いでした。
処刑場が設置されていたのは江戸時代初期からです。特に厳しい島原藩主・松倉重政はキリシタンを厳しく取締り、イタリア人宣教師ナバルロ神父、大村領信者56人の処刑などを行いました。
奥に入ってみます。
なにか特有の雰囲気あがありました
やっぱり供養塔がありました。1875年まで使用されていたそうですが、ここでどれだけの人が露と消えたのでしょうか。
大きな岩がありました。これも何か由来があるのでしょうか。
もっと奥に進むと「南無阿弥陀仏」とある念仏供養塔がありました。これはさきほどのよりも、インパクトが強かったです。ここで何が行われたか、まざまざと知らされた気がしました。供養塔周辺を発掘調査したら、やっぱり遺骨がでてくるのかなぁ。。。
とても興味あるけど、作業するのはとても勇気がいりますね。。。