端山古墳
端山古墳にやってきました。やってきたというか、お散歩中に見つけた感じなのですが。
突然案内板が現れます。しかし、長年風雨にさらされているせいか、ほとんど読めません。
周辺はのどかな田園地帯です。遠くに糸島富士と呼ばれる可也山がみえていますね。
端山古墳
さて、実際の古墳はどこだと見渡すと、畑の中にこんもりと茂った森があります。おそらくあそこでしょう。
案内板によると、4世紀初め頃に造られた前方後円墳だそうです。しかし、前方部分は消滅してしまっていて、現在は円墳の形で残っているようですね。
筑前国続風土記拾遺にも、この古墳に関する記述がありました。
茶臼塚 端山
村の東北に在。茶臼塚の傍に松一株立り。里民曳木松といふ。端山は小さき塚なり。茶臼塚の西北相去こと七八間許にあり。筑前国続風土記拾遺 巻之四十六 怡土郡上 三雲村
では、近づいてみましょう。あぜ道のような道路を通って古墳へ向かいます。
近付くと確かに土が盛り上がっています。前方部の長さ約38メートル、後円部の直径は約42メートル、高さ約8メートルだそうです。
そして、埋葬施設の発掘調査はまだ実施されていないそうで、今後何かわかるかもしれません。
築山古墳
続いて、端山古墳から南に100mほど進むと、また古墳があります。こちらは築山古墳です。
こちらも簡素な道標が建てられていて、古墳である事が分かります。この周辺は魏志倭人伝に出てくる伊都国があったとされる地域で、非常に古墳が多いですね。
この古墳も伊都国か、その後にこの辺一帯を支配していた豪族のものと思われます。
最後に筑前国続風土記拾遺の記述を転載します。
築山
村東に在。竹樹茂れり。南の傍に観音堂あり。怡土懸主なとの墳なるへしといふ。筑前国続風土記拾遺 巻之四十六 怡土郡上 三雲村