秀頼公の産神として手厚く保護されたお社

深江神社に参拝しています。前回は社殿に参拝したので、今回は境内社をまわりましょう。

深江神社にはかなり多くの境内社が存在しているので、社務所には専用の案内板がありました。

それにしても、凄い神様の数です。ここにくれば、どんなお願い事も叶えてくれそうですね。

太宰府から株分けされたものでしょうか?飛梅がありました。

まず、本殿右手にあるのが須賀神社です。須佐之男命を御祭神とする祇園信仰の神社ですね。

本殿の裏手の丘を登った所にあるのが秋葉神社です。火防(ひよけ)・火伏せの神として知られる神様です。

同じく本殿裏手に庚申様の石碑も。

左奥手から撮影した本殿。酒樽が沢山奉納されていますね。

太閤お茶会跡

文禄・慶長の役で、朝鮮出兵の前線基地として現在の唐津市に名護屋城を築いた太閤秀吉は、深江神社を参拝して、境内で野点(のだて)と呼ばれる茶会を催しました。

その茶会を催した場所が、境内の左手で深江小学校に隣接する所だといわれています。当時は小学校の敷地まで境内が続いていました。

茶会の途中で淀君ご懐妊の知らせが届いた為、秀吉は狂喜乱舞して、当時深江の領主だった小早川隆景に命じ、深江神社の社殿を再興させました。小早川隆景は、三本の矢の逸話で有名な毛利三兄弟の三男、後の五大老の一人です。

以降、豊臣秀頼の産宮として、子どもの出生、成長、安産祈願の神様として信奉されるようになりました。

お茶会跡の前に鎮座されているのが皇大神宮、御祭神はもちろん天照大御神です。

続いて、その隣が川上宮。深江地区の旧氏神様です。御祭神は淀比売命。神功皇后の妹、また神武天皇の祖母神である豊玉姫命と同じ神様だとも言われます。

庚申信仰の石碑です。

立派な鳥居まで建てられているのは外内神社。お酒造りの神様ですが、元々二丈岳に鎮座されていたのを明治期にこちらに遷座されたようです。

外内神社の御神木を売ってお神輿を作ったり、深江小学校を建てたと、なかなか凄い事が書いてあります。

広い境内には、他にも町村合併などでこちらに遷座された石碑などが沢山あり、深江地区の信仰が集約されている事を感じました。