大宰府政庁の鬼門除けとして建てられたお社

宝満山は大宰府の鬼門(東北)の位置にあたり、その麓にある竈門神社は「大宰府鎮護の神」として崇敬されてきました。

竈門の名前の由来には諸説あり、筑前国続風土記では宝満山がかまど(竈)の形で、煮炊きの様子を示すかのように雲霧が絶えないことに由来するとしています。

創建は飛鳥時代にまで遡り、菅原道真公が大宰府に赴任した際にも存在していた為、太宰府天満宮よりも歴史があるお社です。

竈門神社は古来から桜や紅葉の名所として知られており、多くの和歌にも詠まれています。訪問時はまだ紅葉には少し早かったのですが、11月下旬頃には綺麗な紅葉が参道を彩ります。

式部稲荷社

参道を進むと左側にお稲荷さんがあるので立ち寄ってみました。竈門神社は境内も広く、末社が沢山あります。

少しくすんだ朱色が年代を感じさせますね、お稲荷さん特有の鳥居の参道をくぐり抜けます。

式部稲荷社です。実は宝満山への登山コースの途中には奥の院もあります。

ちゃんと手水鉢も完備しています。

社殿も本殿があるかなり本格的な造りでした。

脇参道から入ってしまったようです、正面に下りてみましょう。

こちらがお社の真正面にある参道なんですが、鳥居の数が少ないな・・・どちらが本当の参道なんだろう?

刀工 金剛兵衛源盛高 発祥の地

さて、式部稲荷社を下りた場所は少し広場になっていて、傍らに石碑が立ち並んでいます。

実はこの場所、鎌倉時代の刀鍛冶工房跡なのです。筑前国御笠郡の山伏鍛冶集団がこちらに居住していたとされています。

ご存知の方も多いと思いますが、ここ竈門神社は大人気漫画「鬼滅の刃」の聖地として有名な神社です。主人公の「竈門炭治郎」の苗字が同じ、着ている市松模様は宝満山で修行する修験者の柄と同じで、さらに大宰府の鬼門封じのお社と、着想のヒントになったであろう類似点が多数みられます。

こちらの刀鍛冶工房の跡も、鬼滅の刃の作中に刀鍛冶の里が何度も登場する点と繋がりますね。

右の一番大きな石が、初代とされる刀工・金剛兵衛の墓です。続いて真ん中は発祥の碑。左の石碑は、子孫の方がこの墓碑を探し出した記念に建てたもののようです。

貝原益軒は、初代盛国は博多に居住した元山伏で、母は末の左文字の娘であるという説。もう一つ、太宰府有智山の正応の子孫であると二つの説を紹介しています。