地元住民の熱望で戻って来た弁天様

引き続き名島地区を散策しています。前回は名島神社へ参拝しましたが、その名島神社と境内が繋がっている宗栄寺へ参拝します。

本来の入口は南側にある上の鳥居です。お寺なのに鳥居なのは、江戸時代までは名島弁財天社として祀られていたものが、明治期の神仏分離令で別れた事に由来しています。

祀られていた弁財天は、その後転々としたのですが、周辺住民の強い要請と運動により明治7年1月名島へ戻り、宗栄寺が別当寺になりました。

民謡顕彰碑と尺八?を吹いている銅像がありました。弁天様は芸能の神様でもあるからですかね。

蛇の石が祀られています、巳年だから縁起がよいですね。蛇は弁財天の使者や化身とされています。

参道途中にある弁天様の石像。

他にも色々な石仏がおかれています。

振り返ってみると結構長い参道ですね。

こちらのお寺には、江戸時代までは名島弁財天社の神宮寺の末社があったようです。

弁財天に関する説明です。元々はインドの女神が平安時代に日本に伝わりました。神仏習合の時代には宗像三神とも習合している事などが書かれています。

こちらは宗栄寺の由緒書きですね。天草一揆の鎮圧に黒田藩が出兵した際、岡田半左衛門と息子の佐右衛門が戦死しました。残された妻が父子の遺品を名島の古塁の麓に納め、比叡山から僧を招き開基したのがはじまりです。

どうやら階段を使わなくても、お隣の名島神社同様に車でここまで上がってこれるようです。次回は境内を詳しくみてみましょう。

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投稿者

mokudai

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