あか寺で親しまれる国内最初の黄檗禅宗の唐寺
天気が良かったので、ちょっと興福寺に行ってきました。
きょう4月8日は釈迦様がお生まれになった、よい日ですね。誕生を祝う仏教行事が全国各地で行われたと思います。
興福寺は風頭山の山麓にあります。興福寺の由来は1620年頃に航海安全を祈願して、この地に小さな庵を造ったことに始まります。この時代の長崎は盛んに唐寺が建てられました。理由はキリスト教の取締が厳しくなり、長崎に住む中国人にも疑いがかかったため、仏教徒であることを証明するためだったとか。
興福寺住職として滞在したのは、眼鏡橋を架けたことで有名な第二代黙子如定禅師、南画の祖と称される第三代逸然禅、日本黄檗宗の開祖隠元禅師がいます。
山門をくぐると料金所があるので、拝観料を払います。
このお寺には多くの文化財があり、国重要文化財、県重要文化財などに指定されています。中島聖堂遺構大学門から見ることにしました。
長崎聖堂と呼ばれる中島聖堂遺構大学門は、東京の湯島聖堂、佐賀県の多久聖堂とともに長崎聖堂は、日本三聖堂のひとつです。儒者向井元升の流れをくむ聖堂、学舎のもんで1711年に竣成。明治になって廃滅したため、保存のため昭和1959年に興福寺境内にに移築されました。
とりわけ目を引くのは本堂の大雄宝殿です。1632年に第二代黙子如定禅師が建立しましたが、大火で類焼。現在大雄宝殿は1883年に再建したものです。ほとんどが中国工匠による純粋の中国建築で、資材も中国より運送したそうです。戦前は国宝に指定され現在は国の重要文化財となっています。
残念ながら本堂内は撮影禁止でした。堂内には市有形文化財の瑠璃燈が中央高くかけてあります。瑠璃燈とは仏殿などに吊す六角形の灯籠のことです。形状は高さ2・18m、経1・31mと、この種のもので日本に現存するもののなかでも最大だとか。