筑紫国の由来になった神社

それでは、続いて原田宿の入口に鎮座する筑紫神社へ行ってみます。

筑紫野市で一番歴史のある神社なだけあって規模が大きいですね。東溝口が正式な入口のようです。

筑紫の名前の由来には様々な説があるのですが、筑後の境に荒ぶる神がいて通行人を殺すので、「命尽くしの神」と呼ばれ、そして「尽くし」すなわち「筑紫」と呼ばれるようなった説があります。

筑紫神社は牛馬を連れた旅人たちも参拝できるように、大きな広場が併設されています。

そして正式な参道に対して横から入るように、脇の参道が伸びていました。

広場には忠魂碑や石碑も多く残されています。

どうやらこの草むらを渡った方が正式な参拝ルートのようですが・・・

しかし、どうみてもこちらの立派な階段から登りたくなってしまう。

階段を登り切ると菊池神社の境内にでてしまいました。少し参道を戻ります。

五所神社

さて、参道の途中に五所神社がありました。近隣の無格社5社と境内社を合祀したようです。

御由緒をみると、様々な神様が祀られていますね。管理しやすいように今の形になったのでしょう。

かわいらしい狛犬もいて、そして境内は綺麗に清掃されています。

筑紫神社境内

いきなり境内の中についてしまったので、一応正門から入りなおします。

流石に歴史のある神社だけあって、門にも風格がありますね。

コロナ禍で使用中止の所も多いですが、こちらは手水舎も活用されていました。

石碑に刻まれた筑紫神社の説明。

古事記の中で筑紫神社について書かれている部分の紹介です。

戦国時代は島津勢の兵火によって焼失し、1712年(正徳2年)に建て直された本殿。

別角度から、大変立派で風格のある本殿ですね。

本殿は社務所へと繋がっています。

御神木です、神々しい。

何かの儀式に使う台でしょうか?苔むしていて、相当な年代物のようです。

休憩所?のようなものがありました。

御由緒です。筑紫神社の祭神は筑紫の神、玉依姫命、坂上田村麻呂です。創建は不詳。元々は城山山頂に祀られていたが麓に移されたという説、当初から現在地に祀られていた説があります。

登ってきた階段を下りて、広場へ。こちらの階段は駐車場からの近道ですね。はじめてきた方は表参道から参拝すると良いと思います。

 
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