山岳信仰の対象の観音様
天気が良かったので、ちょっと油山観音に行ってきました。
油山に登るときは油山観光道路を通り片江展望台に駐車するのですが、この道路の途中で目にするのが油山観音の案内板。いつもは素通りするのですが、この日は立ち寄ってみました。
油山観光道路を左折して少し進むと、油山観音霊域と刻まれた石碑がありました。ここが入口のようです。今回は、まったく下調べしていないので、案内板を頼りに進んでいきました。
長島 寺尾 両烈士自刃の碑
しばらく登ると、「長島 寺尾 両烈士自刃の碑」という案内が。本道の脇道の先にあるみたいで、油山観音に行く前に寄り道してみました。全然知らない人たちなので、何故腹を切ったのか興味がわきました。何をした人たちなんだろう。
斜面を下った平らな地形に巨大な石碑がありました。説明によると、1945年8月20日未明に海軍の長島秀男技術中佐と寺尾博之少尉が、この場所で敗戦の責を感じて自決したそうです。なんでも終戦後に油山観音に仲間10数名が集まり、これからの身の処し方を話し会ったそうです。結果、「生きて日本に役立つ」という結論に達したが、長島中佐と寺尾少尉は同意せず、自決を決意。遺書には自分の努力が足りなかったために国を守ることができなかった罪悪感が綴られていたそうです。
とても悲劇的な話しですけども、2人とも立派な覚悟を持って行動したんですね。この方達の存在は知りませんでしたが、関連書籍などを読みたくなりました。
この脇道には僧坊跡の案内もありました。油山はかつて720を超えるお坊さんの学生寮があったそうです。しかし、戦国時代に竜造寺隆信の侵攻により、全て焼失してしまったのだとか。おそらく荒楽平城攻めの時でしょうね。いまでは石垣が残るのみ。
本道に戻って油山観音を目指そうとしたのですが、道に迷ってしまいました、、、どうしようかと思っていたら、美空ひばりの歌が聞こえてきたので、音のする方に進むことにしました。するとお寺が見えてきたので、「ここが油山観音かな」と一安心。大陸風の門がお出迎え。
そして油山観音へ
先ほど書いたとおり、龍造寺隆信により施設は焼失しますが、元禄期に再建されます。本堂にある木造聖観音坐像は南北朝時代の作で、国の重要文化財に指定されています
ふらっと立ち寄るつもりだったのですが、意外と見どころが多く、興味深いところでした。全てご紹介するには長くなりそうなので今回は、ここまで。次回、後編です。