姪浜千軒と称えられた宿場の栄枯盛衰

福岡藩士の居住エリアを抜けて、室見川を渡ると姪浜がみえてきます。唐津街道の宿場町としてはもちろん、港町や寺町の顔を持つ姪浜は、かつては姪浜千軒といわれたほど栄えた地域でした。

現在の唐津街道
当時の面影を残す建物。
明治期の建物がまだ存在しています。
中心部でも人気はほとんどありません。
案内板

貝原益軒の『筑前國続風土記』巻之20 早良郡上にも、このような記述があります。

凡姪濱は福岡博多の外、國中第一の廣邑にて、町廣く人家多し。~中略~姪濱の内に凡寺十七區あり。その内眞言二、天台一、禪宗十、浄土宗一、眞宗三有。神社五區、業祠十八宇有。

順光寺
法蔵院

益軒の記述通り、姪浜を歩いているとお寺の多さに気が付きます。福岡城の築城に関わった黒田親子の指示によるもので、福岡城周辺は川に沿って寺町が意図的に配置されました。これは東は御笠川・西は室見川を外堀に見立て、有事の際には寺町に兵士を配備して対応できるようにとの考えから集められたとか。広い境内は兵士の詰め所に、墓石や石像は弾除けになると、なんとも物騒な話が残っています。室見川は明治時代になるまで、一度に多くの人が行き来できないように橋がかけられず、人々は飛び石を渡って城下に出入りしていたそうです。

黒田如水は後に、関ケ原の合戦の折に挙兵して天下を伺っていますが、実は福岡城築城の時から準備はしていたのでしょうね。流石、天下随一といわれた軍師です。

シャッターが下りている店が多い。
かまぼこ屋さんは健在でした。

昭和初期までは、炭鉱までできて隆盛を極めた姪浜宿でしたが、市営地下鉄姪浜駅が南側に開通すると次第に人の流れがそちらに移り、また北に大型商業施設ができた事で、旧街道沿いの商店街には買い物客の往来がほとんどなくなり、現在はシャッターを下ろしているお店が多くなりました。逆に姪浜駅周辺には開発がどんどん進んでいます。

正午過ぎに歩きましたが、人にはほとんど会いませんでした。かつての歴史ある街道は、閑静な裏通りになりつつあります。

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