戦国時代に数々の激闘が繰り広げられた山城
大友5城のひとつ、新宮町の立花山城跡に行ってきました。
名前から立花山の山頂にある山城と想像しがちですが、立花山は7つほどの峰からなる山群で、それらの総称または、7峰の 井楼山(367・1m)を表するものとして用いられています。要は立花山は 井楼山 の山頂にあります。筑前國風土記にも「昔は二神山と云う。いつの比よりか立花山と號せり。此山七峯有」などとあります。
1330年に豊後国守護の大友貞宗次男大友貞載が築城。この地名から立花氏を称するようなりました。筑前では重要な拠点で、各時代の有力者らによる激戦が繰り広げられました。
駐車場に車を停めて、山頂を目指しますが、とにかく傾斜がきつい。登山口に到着するまでに、もう汗だくだく、膝がくがくでした。わたしの運動不足なのも原因なんでしょうけどね。
遺構は石垣の跡が確認できる程度でした。間違ってるかもしれませんが、曲輪跡?と思われるような箇所もありまました。立花山城は黒田長政が福岡城を築いた1601年には廃城となりました。築城の際、立花山城の石垣を移築したそうです。
登り進めるにつれて、ここが如何に堅固な城だったかが想像できます。
天正14年(1586年)7月末、九州制覇を目指す島津勢は4万の兵で押し寄せますが、城主の立花統虎(後の立花宗茂)は徹底抗戦。島津勢の侵攻を食い止めます。
山頂からは福岡市内が一望できます