酒や醤油などの醸造業を中心に発展した「酒蔵通り」

天気が良かったので、ちょっと肥前浜宿に行ってきました。
同宿は長崎街道多良海道の宿場町のひとつ。二級河浜川の河口につくられた農村部に発達した商工業者の集落で、室町時代には町として成立していたと考えられています。

まずは江戸時代から明治時代にかけて、酒や醤油などの醸造業を中心に発展した酒蔵通りを歩きました。肥前浜宿では戦前まで10数件の酒造がありました。現在もいくつかの酒造が製造を続けており、酒の無料試飲や購入、酒蔵見学などが人気です。この酒蔵通りと付近の「肥前浜宿・茅葺の町並み」は、平成18年7月に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。

ピンク色が酒蔵通り、紫色が茅葺の町並み
峰松酒造場

西側から酒蔵通りに入ると、すぐに旧魚市場があります。この建物は戦前は魚問屋で、戦後は魚市組合として鹿島市内はもちろん、武雄市まで仲買人が来て、毎朝非常に賑わっていたそうです。しかし手狭になったことから1964年に新浜町に移転しました。

漆喰で魚市場と書かれています
郷土料理・フナンコグイ。昆布巻きしたフナを一昼夜煮詰めたものです

肥前浜宿の酒造業は昭和初期に最盛期を迎えました。昭和初期の1934年に建てられた呉竹酒造の母屋と土蔵は、この通りで最も大きく当時の経済力を反映したものでした。今は酒造りは行われていませんが、広い土蔵で講演会や展示会などに利用されています。

呉竹酒造の母屋
呉竹酒造の土蔵

通りを半分ほど歩くと現役バリバリ感がある光武酒造場があります。創業は元禄元年1688年と非常に歴史があり、県内でも光武学校と呼ばれるほど、酒造りの一切を取り仕切る責任者「杜氏」を多く輩出している蔵だそうです。

光武酒造の金波は有名ですよね

光武酒造場も古いですが、浜町の中で最も古い酒屋は中島酒造場です。創業は1650年。奥座敷は天保年間(1831年~1845年)、主屋は1885年のものだと推定されています。建物は1987年の映画「次郎物語」のロケ現場としても使われました。常時10種類ほどのお酒を販売しています。

中島酒造場。現在は唐津市の鳴滝酒造にて製造しています
「君恩」は代表銘柄

酒蔵ばかりの記事になってしまいました。この地区には武家屋敷や郵便局の役割を果たしていた「継場」などもあり、見どころ満載です。これらについては次回、紹介します!