太閤秀吉も飲んだ長垂山の湧き水
202号線を海岸線に沿って西へ向かうと長垂山が現れます。昔はこの山の峠を越えないと、糸島方面へ抜けられない難所でした。
そして唐津へと続くこの道は、かつて太閤秀吉が朝鮮出兵の際に通った道でもあります。筑前国続風土記にも「太閤道」という項目で紹介されています。当時の旧道は大谷の病院前で左折している道です。つまり海岸線の道は明治以降にできた道ですね。
そんな秀吉が長垂山で休憩をした際に使われた水場が今ものこっています。海岸線の道を進み、そして大岩の前にある小さな分岐道に入ります。
入るとすぐにお地蔵様のお堂があります。志免町の人が奉納としたと看板があります、もしかしたら志免から引っ越してきたのですかね?
こちらは手水鉢でしょうか?今は使われていないようです。
運気延命地蔵様です。お花や榊が新しいので、定期的に管理はされているようですね。
太閤水
お参りを済ませ、そしてお地蔵様の前にある道を西へ進んでいくと・・・
ありました!こちらが秀吉公も飲んだ太閤水です。
そして隣には石仏も鎮座されていますね、分かりやすく太閤水と書かれた柱があります。
まだ水は湧いていますが、濁っているので今は飲めないみたいですね。
そしてこちらがもう一つの水汲み場。実は本当に秀吉公が飲んだ太閤水は、今は廃道になった油坂という山の中を通る旧道沿いにあります。しかし、こちらも同じ水源から水を引いているということで、太閤水と呼んでも差し支えないかと思います。
本物の太閤水の場所へは、今も行く事は可能ですが、藪漕ぎをしないといけないような場所らしいのでパスします。
水場の横には長垂寺へと続く長い石段があります。
まずは見えている石段を登り切りました。しかし、まだまだ先が続いています。かなり先の方にみえているのが本堂ですかね、ここで心が折れて引きかえしました。