国境の宿場町
天気が良かったので、ちょっと轟木宿跡に行ってきました。
轟木宿は鍋島藩領の東端に位置する宿場町で、轟木川(番所川)を境に飛び地の対馬藩領と国境を接していました。
鍋島藩は徳川幕府の鎖国政策に加え、他藩との交流を控える二重鎖国体制を取っていたことから、旅人の荷を改める番所を設けていました。番所には藩士1人と足軽9人を置いて、出入りする旅人のチェックは厳しかったそうです。が、お祭りの時には両藩の領民があぜ道などから、思い思いに藩境を越えていたとか。
橋を渡り少し進むと日子神社が見えてきます。旅人はここで旅の安全を祈りました。神社の側には制札場があり、御触書や人馬の公定賃金などが掲示されていました。
轟木宿は上町、中町、下町、新町の四町からなっていました。上町は番所、中町は制札場、下町は人足や馬を用立てる人馬置床が置かれました。新町には細工師や大工などの職人町でした。
旅籠は中町と下町に多く、長崎屋、角屋、泉屋など13軒の旅籠が並んでいました。また、藩主の宿泊する御茶屋は中町の東側に建てられていました。
轟木宿から少し離れた場所に安良宿と村田宿という小さな宿場があります。轟木宿に泊まりきれない場合は、これらの宿場が下級藩士の分泊地になっていました。