吉田松陰も泊まった宿場町
天気が良かったので、ちょっと中原宿跡に行ってきました。
中原宿は当初、両隣の轟木宿と神崎の神崎宿との「間の宿」という格付けで、規模は小さかったようです。始まりは、はっきりと分かっていませんが、1646年に描かれた正保絵図には宿を示す記号が記載されています。その後、時代が下っていくにつれて格が上がっていったようで、1853年の大小配分石高帳には本宿として記載されています。
中原宿の東側出入り口に祇園社があります。創建年、由緒、沿革などは判明していませんが、御祭神は素戔嗚尊です。また、鍋島藩の土木の神様と言われた成富兵庫茂安も祀られています。
中原宿には街道沿いに泉屋、長崎屋、桜屋、松坂屋、大坂屋、岡崎屋の6軒の旅籠がありました。この中でグレードの高い長崎屋は本陣になっていたそうです。今も当時の名残を残すのは岡崎屋だけで、2階の手摺りに「中原驛岡崎屋御定宿」の文字を確認することができます。著名人も宿泊しており、岡崎屋の宿帳には吉田松陰(寅之助)の名前があります。
中原宿は1885年8月14日に全80戸中74戸を呑み込んだ大火災が発生し、街並みの大部分が失われました。往時を偲ばせるのは、ほぼ岡崎屋だけとなっています。