日本庭園に変遷した黒田家の別邸

福岡市指定名勝の友泉亭です。日本の美を感じられる歴史公園として周辺住民に親しまれています。

友泉亭正門

「友泉亭」の由来は、 久世三位源通夏卿 が
「世に堪へぬ 暑さも知らず 沸き出づる 泉を友とむすぶ庵は」
と詠じた和歌の中から名付けられました。

利用案内

友泉亭を作ったのは第6代藩主の黒田継高公。黒田藩の歴史の中で最も長い50年間、藩主を勤めたお殿様です。元々は支藩である直方黒田家の出身で、そして養子の身ではじめて藩主の座に就いた人でもあります。

残念ながら継高公も世継ぎにはめぐまれず、一橋家から養子をもらいました。孫娘と婚約させるなどして、何とか如水・長政の血統を繋ごうとしましたが継高公で途絶えてしまいました。

入園料

入園料というか、維持費ですね。福岡市の施設なので安いです。

趣のある石畳と湾曲した通路。

黒田家から炭鉱王へ

別邸の入口です。明治維新以降は小学校や役場などに姿を変え、昭和に入ると麻生家、安川家と並ぶ筑豊炭鉱王御三家のひとつ貝島家の別荘として使われていました。

しかし順路は庭に続いています、先に庭園をぐるりと周るようです。

こちらのお庭、正式には池泉回遊式日本庭園というそうです。

梅が咲き始めていました、だけどまだ3分咲きくらい。3月中旬頃が見ごろですかね。

筑前国続風土記付録』の絵図には西北に福岡城を眺み、樋井川の流れと湧水を水源にしたらしい池泉や、中島を配した亭の様子が画かれています。確かに約3,000坪の公園内には四季折々の草木が整備されており、静かで澄んだ空気を感じます。

江戸時代の敷地は、北は現在の中央区鳥飼から城南区東油山までの2万8,000坪あったそうです。昔は周辺に何もなかったのでしょうが、それにしても広いですね。

如水庵

離れ茶室の前にある古そうな塀。どこかからの移築でしょうか?

黒田家時代の友泉亭は質素で実用的だったと書かれていますね。しかし現在の建物はその後の所有者の炭鉱王・貝島家によって建てられたものなので立派です。

藩祖・官兵衛にちなんで名づけられたにじり口のある本格的茶室の如水庵。手前には野点のできる広場があり、また織部灯篭なども備えています。

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